2021/01/26 小豆沢散歩 06 志村坂上区民事務所/トーハツ㈱本社/志村一里塚/志村坂上駅/(有)斎藤商店/富士・大山道の道標と庚申塔

小豆沢通りから外れて志村坂上駅周辺を散策。
中山道を渡ったあとは旧中山道に入る。



志村坂上区民事務所

区役所の出張所だね。
志村坂上区民事務所のご案内|板橋区公式ホームページ


施設前にあった地図







◆トーハツ㈱本社

『トーハツ株式会社(Tohatsu Corporation)は、船外機、消防ポンプを主に生産販売している日本の製造業者。トーハツの名で知られる。一頃はホンダを凌ぐ日本一のオートバイメーカーとなったこともある。 』
トーハツ - Wikipedia

調べるまでどんな企業さんなのかわからなかった・・・。







◆志村一里塚

こちらも健康ウォークの時に来ている。
2017/12/03 志村坂上散歩 01 健康ウォーク2017/戸田橋の親柱/斎藤商店/志村一里塚 - ovanの社会科見学



 江戸に幕府を開いた徳川家康は、街道整備のため、慶長九年(1604)二月に諸国の街道に一里塚を命じました。これにより、五間(約9m)四方、高さ一丈(約3m)の塚が江戸日本橋を起点として一里(4km弱)ごとに、道を挟んで二基ずつ築かれました。
 志村の一里塚は、本郷森川宿、板橋宿平尾宿に続く中山道の第三番目の一里塚として築かれたもので、天保元年(1830)の新編武蔵風土記稿」では「中山道の往還の左右にあり」と紹介されています。
 幕末以降、十分な管理が行き届かなくなり、さらに明治九年(1876)に廃棄を命じた法が下されるに及び多くの一里塚が消滅していきましたが、死ぬらの一里塚の昭和八年から行われた新中山道の工事の際に、周囲に石積みがなされて土砂の流出をふせぐ工事が施されて保全され、現在に至っています。
 今日、現存する一里塚は全国的にも非常にまれなもので、都内では北区西ヶ原と志村の二ヶ所だけです。そのため交通史上の重要な遺跡として、大正十一年(1922)に国の史跡に指定され、昭和五十九年に板橋区の史跡に登録されました。




右側の建物が下記の斎藤商店。







志村坂上駅

都営三田線志村坂上駅







◆(有)斎藤商店

こちらも以前来たことがある。
2017/12/03 志村坂上散歩 01 健康ウォーク2017/戸田橋の親柱/斎藤商店/志村一里塚 - ovanの社会科見学



 斎藤商店は、 欅を主に扱う原木商として明治二十二(1889)年に当地で創業し現在は竹材を主とし、箒や笈などの竹製品も商っています。現在の建物は、昭和八(1933)年の国道17号の拡幅工事に伴って新築されたものです。建物全体は、店舗部分と住居部分が一体となっており、下屋庇(しもやひさし)を廻したL型平面の入母屋造桟瓦葺(いりもやづくりさんかわらぶき)の平屋に二階部分を載せた複雑な構造となっています。築材には国産材を使っており、また宮大工が建てたとも伝わりますが、大工の名前などは不明です。
 建物の外観には、破風(はふ)を各所に見せる複雑な屋根の構成や、二階の窓の手すりに高欄風の反りを持たせるなどの意匠が見られます。さらに外壁には真壁漆喰塗りが施されています。
 斎藤商店は、郊外の独立住宅の趣を呈する区を代表する近代和風建築であり、近接する志村一里塚(大正十一年国指定)と一体化した街のランドマークとしても親しまれています。また、平成四年には「活き粋いたばしまちなみ景観賞」にも選ばれています。
 斎藤商店は、区の歴史や文化に関係が深く、また、意匠的、技術的にも優秀であることから、区の建築史を明らかにするうえで重要な建造物です。平成二十四年度に登録文化財となりました。







◆富士・大山道の道標と庚申塔



 富士・大山道とは、霊山である富士山や神奈川の大山へ通じる道です。この場所は中山道から富士・大山道が分岐する場所でした。
 向かって左側の道標(道しるべ)は、寛政四年(1792)に建てられたもので、正面には「是より大山道 并(ならびに)ねりま川こへ(川越) みち」と刻まれています。右側の庚申塔は、万延元年(1860)に建てられたもので、左側面に「是ヨリ富士山大山道」とあり、練馬・柳沢(西東京市)・府中への距離が示されています。
 この二基の石造物は、江戸時代の交通や信仰を物語る上で貴重な存在であり、昭和五十九年度に板橋区文化財に登録されました。



右の道が旧中山道







続く。