2021/02/04 板橋中台散歩 07 中台さとやま公園/中台さとやま公園脇の急坂/延命寺/松山の坂/若木三丁目貝塚公園/板橋相生陸橋

どんどん北上して環八通りへ出る。



◆中台さとやま公園







◆中台さとやま公園脇の急坂

坂上



坂下。
こちらも標識など見当たらず。
WEBで調べても名前などわからなかった。







延命寺



 宗派は真言宗豊山派で、双林山月輪院(がちりんいん)と号し、 御本尊は如意輪観世音菩薩です。
 かつてこの地には、永正年間(1504~20)創建の観音堂があって、鎌倉時代の仏師、 運慶作の観音菩薩像が安置されていました。寛永年間(1624~44)になって、初代住職 の行信法印が観音堂を修築し、伽藍を整えて寺院として創建したのが当寺で、その際、観音堂 で安置されていた尊像を、御本尊としたと伝え られています。当初院号は日月院と号していま したが、江戸時代末に現在の院号へと変更され ています。
 江戸時代には愛染院(練馬区春日)の末寺と なっていました。しかし、正確な寺歴については、享保三年(1718)と文化二年(1805)の二度にわたる火災で諸記録すべてが焼失したため明らかではありません。
 現在、参道左側にある宝篋印塔は、享保十七年に村の万人講中と庚申講中が建立したもので、 十世住職の尊宥が参加しています。また、墓地 入口への道に沿って立つ庚申塔馬頭観音など の石造物は、かつて村の路傍に立っていたもの で、戦後になって宅地化が進むことで当寺へ移 されてきました。


庚申塔


庚申塔裏の祠


石塔等



遊具

公園にはなってないのでお寺で設置したものであろう。







◆松山の坂

坂上



坂下。
通りの名前は若木通り。
天狗坂とも呼ばれるとのこと。

参考
profile/松山の坂(天狗坂)







若木三丁目貝塚公園



 今より約6500~5300年前の縄文時代早期末から前期中頃は、現在より気候が温暖で、「縄文海進(じょうもんかいしん)」と呼ばれる海水面の上昇がありました。その頃はこの北側の荒川低地に海が入り込み、埼玉県富士見市の先まで広がっていました。
 中台馬場崎貝塚は、明治時代からその存在が知られており、昭和四十二年の発掘調査では、縄文時代 前期中頃の住居跡から、数多くの土器や石器などと ともに貝の堪積(貝塚)が発見されました。その貝 たい の中には河日に生息するヤマトシジミが多く含まれ ており、貝塚が作られた当時、このあたりは川が海 に注ぐ河口の近くであったことが分かりました。
 昭和五十五年、板橋区がこの場所の遺跡範囲確認調査を行つたところ、比較的良好な状態で遺跡が残っていました。そこで、平成二年に「若木三丁目貝塚公園」として保存整備し、同五年度にはこ 園部分を板橋区の記念物(史跡)として登録しました。







◆板橋相生陸橋

上は環八通り
こちらはくぐらずに右折する。



陸橋のさらに上に走っている道路は首都高速5号池袋線






続く。