2021/02/09 ときわ台散歩 01 志村坂上駅/凸版印刷板橋工場/延命寺/志村第三公園/志村銀座商店街/熊野湯/旧志村役場跡

24時間勤務アケで、都営三田線志村坂上駅から東武東上線ときわ台駅近くのバス停「小茂根」まで散歩。



志村坂上駅西側、志村三丁目駅南側エリアを散策する。
しかし、なんで三田線のここだけこんなにカーブしているんだろう?



志村坂上駅

スタートの都営三田線志村坂上駅








凸版印刷板橋工場






延命寺



 当寺は、見次山と号する真言宗寺院で、ご本尊は地蔵菩薩です。
 開山は頼眞、開基は見次権兵衛とされています。大永四年(152)、北条氏綱は、上杉朝興が拠点としていた江戸城を攻め落としました。結果、上杉勢は河越へと遁走していきますが、その際には志村城でも戦闘が行われたといわれています。戦いの中で、志村城主篠田五郎の家臣見次権兵衛は、子息権太郎が討死するのを目の当たりにし、戦後、息子の菩提を弔うために居宅を供して寺院とし、自らは開基となったと伝わります。
 「新編武蔵風土記稿」によれば、享保年中(1716~36)の鷹狩りに際し、当寺に御腰掛·御成門が設けられ、御膳所となったと記されています。将軍は当寺を拠点として戸田・志村原で行われた鷹狩りへと赴いて行きました。
 境内には、大日如来の種子が心字蓮坐に刻まれた、区内最古となる建長四年(1252)の板碑を含む板碑群と、正保四年(1647)に造立された庚申薬師などがあります。庚申薬師は、舟型光背を有し、薬師が刻まれた庚申塔で、いぼとりの「蛸薬師」としても知られています。
 なお、山門脇には、江戸時代から知られていた樹齢八百年ともいわれる欅が立っていました。昭和六年 (1931)には「延命寺の欅」として国指定の天然記念物となりましたが、同三十七年に枯死したため、指定が解除されています。また、その樹幹は、近年まで保存されていましたが、平成二十二年の建設工事によってこれも撤去されています。


鐘楼


六地蔵


庚申塔


山門


入口






◆志村第三公園







志村銀座商店街

商店街♪








◆熊野湯

銭湯♪







◆旧志村役場跡



 この地には、大正二年(1913)から昭和七年(1932)までの十年間、志村役場が置かれていました。現在の板橋区域は、明治十一年(1878)に郡区町村編制法が公布されると北豊島郡に属することになり、さらに明治三十一年に市制及町村制の公布にともなって町村の統廃合が進められ、翌年五月の施行時には板橋町・上板橋村・志村・赤塚村の一町三ヶ村が成立しました。このうち志村は、志村・本蓮沼村・上蓮沼村・小豆沢村・前野村・中台村・西台村・根葉村の八ヶ村が合併したものです。
 志村の成立当初は、延命寺内に仮庁舎が設置されましたが、明治三十六年三月に尖災で焼失してしまいました。 これを機に、 大字(おおあざ)志の山上兼太郎所有地に庁舎を建設して執務にあたりましたが、事務量の増加で手狭となったことを理由に、大正二年 十一月 に当地へ西洋造木造瓦葺三階建の庁舎を新築して移転しました 。この庁舎は、 昭和七年に板橋区が誕生したことによって、役場としての役割を終えましたが、 城山寮と名称を変えて、太平洋戦争による戦災者や海外引揚者などに宿泊場所を提供する社会事業施設として利用されていました。



東京都聴覚障害センター敷地内に説明板があった。







続く。