2021/02/09 ときわ台散歩 08 上板橋村役場跡/安養院/台橋/東宮降誕記念植桜之碑/小茂根歩道橋/小茂根バス停

最後にまた環七へ出て、高円寺行のバスに乗って帰る。



上板橋村役場跡



 江戸時代に川越街道の宿駅になっていた上板橋宿は、現在の弥生町・東山町・東新町・常盤台・南常盤台・桜川・上板橋大谷口・大谷ロ上町・大谷ロ北町・向原・小茂根、そして練馬区の旭丘・小竹町を含む大きな村でした。明治五年の調査では、戸数405戸、人口は2376人でした。
 明治二二年 (1889)の町村制施行にあたっては、江戸時代の村をいくつか合併して新町村が編成されるのが普通でしたが、上板橋は単独で上
板橋村となりました。役場は、当初安養院の玄関や境内の建物を使用していましたが、昭和二年 (1927)にこの場所に新庁舎を建築しました。以後、昭和七年に上板橋村が東京市に併合されるまでの五年間、ここに役場が置かれていました。石柱はその当時に門柱として使われていたものです。
 この役場跡は、平成十四年度に「一町三村役場跡地」 として、板橋町役場跡、志村役場跡、赤塚村役場跡とあわせて、板橋区文化財に登録しました。









◆安養院



 当院は、武王山最明寺と号する真言宗寺院で、ご本尊は阿弥陀如来です。
 開山は、不詳ですが、開創については、諸国を行脚していた北条時頼が、正嘉元年(1257)に当地を訪れた際に、古利を中興し、安養院と号したという由緒があります。貞享元年(1684)の当院の盛衰や由来を記したロ書によれば、正保期(1644~48) までは、北条時頼の御影を安置した御影堂や塚が残り、時頼の法名から最明寺と号したといいます。なお、ロ書を含む「安養院文書」は、江戸~昭和にかけての当院と周辺地域の動向を伝える貴重な文化財です。
 本堂に安置されている前立本尊の紅頗梨色阿弥陀如来は、宝冠をいただき、弥陀定印を結び、孔雀座に坐する造像で、江戸時代初期の正系の仏師の手によるものといわれています。また釈迦四面像は、武田信玄の守本尊であったとされ、紀州徳川家から当院に寄進されたものです。厨子の中には巌山が作られ、四体の釈迦像を配して、釈迦の生誕から入滅までの姿を表しています。厨子の扉や天井には狩野派による仏画が描かれています。
 庫裡は、明治三十四年(1901)に東京市麹町区に建てられた旧前橋藩松平家、伯爵松平基則の本邸を、和四年に当院の客殿庫裡として移築したものです。近代和風建築の代表的な建物の一つとなっています。
 境内の鐘楼には、元禄二年(1689)に鋳造され、享和二年(1802)に再鋳された銅鐘が掛けられており、昭和十八年 (1943)には国重要美術品に認定されています。


大師堂


常圓堂


鐘楼


安養院のカヤ



 樹種、かや(イチイ科)。樹高、約16m。目通り、約360cm。根回り、約380cm。樹齢、約300年以上(推定)。
 このカヤは区内に現存するカヤのうち最大のもので、白蛇の住むという言い伝えもある巨木である。
 九月頃には楕円の実をつける。境内にあるため、環境条件にも恵まれ生育状況も良好である。また、この地域のカヤの多くは安養院のカヤの実生を移植したものと言われている。
 平成六年度、板橋区登録文化財の天然記念物(名木・巨樹・老樹等)とした。


安養院庫裏


山門








◆台橋

下は、石神井川











東宮降誕記念植桜之碑



 上板橋の地形北は概ね平地、南西に丘陵起伏その間を石神井川が蛇行して東に流れる。この川一旦長雨となればその都度河水氾艦し、昨日の美田も一朝にして荒田と化し、村人これを憂い協議の上耕地整理組合による水路の改修、堤防の築堤を属しその害を除去。
 昭和八年十二月皇太子ご誕生で一億の民、歓盤路上に舞い満ち奉祝するなか、上板橋青年団並びに上板橋在郷軍人分会、堤上に桜の記念植樹を議り、宿東より西は栗原に至る距離三千除歩に苗木およそ一千株を管理組合及び有志相助け合い植樹、この頃記念石碑建立の願い有り、美しきは桜花皇朝の、そして国の花でもある桜の植樹で皇家の慶事を祝うまこと喜げしき計画が完成し、開花時その美しさを長堤十里に競い花雲の様に咲き誇り、石神井川に盛んに湧き出でる水面に美しき影を落とし村人男女花を愛で歩く、例え今日寂しい里でもやがては東都における景色の勝れた名所として栄えるは必定、その日あるは耕地整理による樹木の育成成長と共に石神井川の多くの水量は共に賞賛され、後世子孫に多くの恩恵を与えその功績は非常に大であり、いつの日かこの地に遊び、この花を見る者にこの事業に携わった多くの人々の旺盛なる忠愛の情ありたるを此処に書き記す。









小茂根歩道橋










小茂根バス停



高円寺到着。





環七を走るバスは便利なので、今後散歩の帰りによく使うかも。
ただ、本読んだりスマホいじると酔うのでできれば電車を使いたい。
散歩は志村坂上西側エリアに勾配があったが、それ以降はなだらかで散歩しやすかった。
トイレが無くて困ったのだが、散歩したルートが悪いだけで公園はたくさんあった。
ひさしぶりに「さやの湯処」で温泉に入りたかったなあ。
また今度だ!