2021/02/18 大山散歩 01 板橋本町駅/YUMEパーク大和町/本町街かど公園/板橋と縁切榎/中山道陸橋/板橋本町インター/縁切榎

24時間勤務アケで、都営三田線板橋本町駅から同じく板橋区役所前、東武東上線大山駅経由で東京メトロ千川駅まで散歩。

地図はとりあえず大山まで。



ここでは板橋本町駅周辺を散策後、だいたい旧中山道沿いに南東へ歩いていく。



◆板橋本町駅

スタートの都営三田線板橋本町駅




近くにあった地図









◆YUMEパーク大和町



 この広場は、大和町交差点の総合的な環境改善のため、関係する道路管理者である国土交通省、東京都、 首都高速道路公団が地元板橋区と協力し整備したものです。 地域の皆様の憩いの場となるよう開放的な緑地空間の整備を図るとともに、道路利用者の利便性を図るため、休憩 情報提供共施設や駐輪施設の整備をあわせて行いました。
 広場の名称は、一般に公募した中から、 大和町交差点環境整備デザイン等検討会において、地域の人たちに親しみやすい名前として選定されました。この名のように、 環境を良くしたいという地域の夢が叶うよう祈念するところです。









◆本町街かど公園










◆板橋と縁切榎

みっけ♪



 板橋宿場散歩は、荒川線康申塚駅から旧中山道をゆく板橋本町駅までの約3.6kmのみちのりです。 絶え間のない商店街沿いには本陣跡や脇本陣跡の史跡とともに、 古風な店構えも残されている旧道の面影の残る散歩道です。

板橋と縁切榎
 石神井川に架かる板橋は江戸時代以降宿名、町名、そして区名の由来となった橋です。 昔は丸太橋が多く、板で造られた橋が珍しかったのでこう呼ばれていました。現在はコンクリート製の橋が架かっていますが 江戸時代には三本づつ五組の橋柱を河中に建て橋桁を渡し、木製欄干が穏やかな弧を描くようにかけられていたそうです。板橋のそばにある縁切榎は、この木の下を嫁入り婿入り行列列が通ると必ず不縁になると伝えられていました。現在では三代目の榎が植えられており、良い縁を結び悪い縁を切るものとして信仰を集めています。









中山道陸橋









◆板橋本町インター









◆縁切榎



 江戸時代には、この場所の道をはさんだ向かい側に旗本近藤登之助の抱屋敷がありました。その垣根の際には榎と槻(つき)の古木があり、そのうちの榎がいつの頃からか縁切榎と呼ばれるようになりました。 そして、嫁入りの際には、縁が短くなることをおそれ、その下を通らなかったといいます。
 板橋宿中宿の名主であった飯田侃家の古文書によると、文久元年 (1861)の和宮下向(げこう)の際には、五十宮(いそのみや)などの姫君下向の例にならい、榎をさけるための迂回路がつくられています。そのルートは、中山道が現在の環状七号線と交差する辺りから練馬道(富士見街道)、日曜寺門前、愛染通りを経て、板橋宿上宿へ至る約1kmの道のりでした。
 なお、この時に榎を菰(こも)で覆ったとする伝承は、その際に出された、不浄なものを莚(むしろ)で覆うことと命じた触書(ふれがき)の内容が伝わったものと考えられます。
 男女の悪縁を切りたい時や断酒を願う時に、この榎の樹皮を削ぎとり煎じ、ひそかに飲ませるとその願いが成就するとされ、霊験あらたかな神木として庶民の信仰を集めました。また、近代以降は難病との縁切りや良縁を結ぶという信仰も広がり、現在も板橋宿の名所として親しまれています。










続く。