新堀橋を渡ってまた石神井川を渡る。
google mapで次の場所までのルートを検索すると、そのまままっすぐ進むことができないみたいだったので、前の日記「豊石橋」まで戻った。
◆新堀橋
下は石神井川。
こちらはgoogle mapに載っていなかった。
豊石橋のすぐ近くにあった。
何が祀られているのかもわからなかった。
こちらはgoogle mapに載っていなかった。
何が祀られているのかもわからなかった。
◆若宮八幡神社
豊島八幡児童遊園内に、社だけ建っていた。
当社は旧若宮町の村社にして豊島清光がその子清泰の死を悲しみて、その霊を祭れるを起こりと伝えられる。
『豊島 清元(としま きよもと)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。武蔵国豊島郡を領有した豊島氏の当主。下総国葛西御厨も領有した。代々、源氏の家人になり、前九年の役や後三年の役で源義家に保元の乱で源義朝の配下で参陣している。父は豊島康家。
諱は清光で知られるが、近年に発見された「桓武平氏諸流系図」(鎌倉時代末期成立)などから清元が正しいことが判明している』
豊島清元 - Wikipedia
続く。