2021/04/01 王子本町散歩 09 王子子育地像尊/王子神社/北区役所/王子神社のイチョウ/音無親水公園/王子駅

さらに線路沿いに進んでJR王子駅でゴール。



◆王子子育地像尊

王子大坂坂下にあったお地蔵様。



王子の子育地蔵尊は、安山岩系の石を丸彫(まるぼり)した、122cmの石造地蔵菩立像です。釈迦如来が没してから弥勤菩薩が出現するまでを、仏教では無仏時代といいますが、地蔵菩薩は、この時代に人々を救済する善薩と信じられてきました。
地蔵尊は、昭和二十年(1945)四月十三・十四日の空襲にって火を浴び、像の表面が利落しているため、造立した年代や造立者はわかりません。
 昭和三年(1928)一二月に出版された『王子町誌』によれば子育地蔵尊は、同所にあった山本家の祖先が普願して室町時代の末期、天文元年(1532)に建立安置し、当時の堂宇は元禄二年(1689)に改築したものだと記されています。現存の像の造立年代を判断するには資料が不足していますが、同所で古くから地蔵尊が和られていたことが推測されます。
 また、その信仰については、「古来子育及商売繁昌の地蔵尊として信仰せられ、毎月四の日の縁日には参拝する者実に夥(おびただ)しく、縁日商人の露店を張るものも頗(すこぶ)る多いので、その賑ひ真に筆の及ぶところでない」とあり、近代には子育地蔵として信仰をめていたことが知られます。
 お唱えする言葉
「おん かかか びさんまえい そわか」
※私有地に建っておりますので、お静かにお参り下さい。









王子神社

何度か来たことがある。
2018/03/29 王子散歩 王子駅/音無親水公園/王子神社/北とぴあ/飛鳥山(花見) - ovanの社会科見学
はてなで日記を書く前にも来ている。
mixiに残っているかな?



 元亨二年(1322|)、豊島郡を支配していた萱島氏が熊野の方向を望む石神井川沿いの高台に、紀州熊野三社権現から王子大神を勧請し、若一王子宮として紀られるようになりました。これにより、村名が岸村から王子村に改められ、王子という地名の由来となりました。また、石神井川がこの地域では音無川と呼ばれているのも紀州の地名に擬したとの説があります。
 王子神社は、豊島氏に続いて領主となった小田原北条氏からも寄進をうけ、江戸時代には、徳川家康社領として二〇〇石を寄進しました。これは、王子村の村高の三分の二にあたります。別当寺は、王子神社に降接していた禅夷山金輪寺で、将軍が日光社参や魔狩の際に休息する御膳所となっていました。将軍家の祈願所として定められた王子神社は将軍家と関係が深く、三代将軍家光は社殿新造し、林羅山に命じて「若一王子縁起」絵巻三巻を作らせて奉納しました。家光の乳母である春日局も析願に訪れ、その後も、五代綱吉、十代家治、十一代家斉が社殿の造営修繕をし、境内には神門、舞殿などをそなえ、摂末社も十七社を数えました。
 紀州徳川家の出であった八代吉宗は、紀州ゆかりの王子をたびたび訪れ、飛鳥山に桜を植樹して寄進しました。この後、花見の名所となった飛鳥山王子神社周辺は、江戸近郊の名所として多くの人が訪れるようになります。特に、七月十三日に行われた王子神社の祭札は「槍祭」とよばれ、小さな槍を買い求める人や田楽躍を見物する多くの人でにぎわったことが見物記などからうかがえます。
 明治時代にはいると明治元年(1868)、准勅祭社となり、東京十社に選ばれ東京北方の守護とされました。
 戦前の境内は「太田道瀧雨宿りの椎」と呼ばれた神木をはじめ、多くの樹木が茂っていましたが、戦災で焼失したため、境内に現存する東京都指定天然記念物の大イチョウは、戦災を逃れた貴重な文化財です。戦後は、氏子一同により権現造の社殿が再建され、現在の景観にっています。
 末社 関神社 蝉丸法師を祭神とし、理容業者により信仰されている全国でも珍しい「髪」の祖神です。


関神社・毛塚



「髮の祖神」関神社由緒略記
御祭神
蝉丸公 神霊
逆髪姫 神霊
古屋美女 神霊

「これやこの 行くも帰るも 別れては
 知るも知らぬも逢坂の関」の和歌で有名な「蝉丸公 」は延喜帝の第四皇子にして和歌が巧みなうえ、琵琶の名手であり又 髪の毛が逆髪である故に嘆き悲しむ姉君のために侍女の「古屋美女」に命じて「かもじ・かつら」を考案し髪を整える工夫をしたことから「音曲諸芸道の神」並に「髪の祖神」と博く崇敬を集め「関蝉丸神社 」として、ゆかりの地 滋賀県大津の逢坂山に祀られており、その御神徳を敬仰する人達が「かもじ業者」を中心として江戸時代 ここ「王子神社 」境内に奉斎したのが、当「関神社 」の創始なり。 昭和二十年四月十三日戦災により社殿焼失せしが、人毛業界これを惜しみて全国各地の「かもじ・かつら・床山・舞踊・演劇・芸能・美容師」の各界に呼び掛け浄財を募り昭和三十四月五月二十四日これを再建せり。

毛塚の由来
釈尊が多くの弟子を引き連れて、祇園精舎 に入られたとき貧女が自らの髪の毛を切り、油に変えて献じた光が、大突風にも消えることなく煌煌と輝き世に貧女の真心の一灯として髪の毛の尊さと共に、毛髪最古の歴史なりと永く言い伝えられる由縁である。
毛髪を取り扱う我々業者は毛髪報恩と供養の為に、昭和三十六年五月二十四日「関神社」境内に毛髪の塔を建立し永く報恩の一助 とする。


王子田楽

王子田楽は、豊かな実りと無事を祈って、毎年8月、王子神社の例祭で、神前に奉納される伝統芸能です。花笠をつけ、鼓(つづみ)・筅(ささら)・太鼓方が笛に合わせて踊る、全国でも数少ない芸能です。しばらく絶えていましたが復元され、王子田楽衆と王子田楽式保存会によって保存・伝承されています。


鳥居








◆北区役所








王子神社イチョウ




 音無川(石神井川)左岸崖線の肩の部分に一際高くそびえ立つ大イチョウです。幹囲5.3m、樹幹の先端部は欠損していますが高さは24.2mあり、全体的にはほぼ自然樹形を保っています。
 王子神社の創初については、飛鳥山公園内にある「飛鳥山碑」(都指定有形文化財・古文書)に書かれています。それによれば、元亨(げんこう)年間(1321~24)に豊島氏が勧請したことが始まりとされていますので、その頃にこのイチョウが植えられたとすると、600年近い樹齢と考えられます。
 戦災によって王子神社の社殿や太田道漢が雨宿りをしたという伝説を持つシイの大木など多くのものが失われた中で、このイチョゥは生き延び、今も高台から東京の街の移り変わりを静かに見つめています。








◆音無親水公園










王子駅

ゴールのJR王子駅







勾配のきついところが数か所あった。
ちょっと膝が痛くなった。
歳だね(w
ものすごくのどが渇いた。
最初にアルコールを入れてしまうとダメだなあ。。。。