2021/04/10 東中野散歩 01 東中野駅/アクア東中野/染井吉野の歌碑/健康浴泉/青原寺/源通寺/高徳寺

24時間勤務アケで、かかりつけのお医者さんに行ってから東中野へ移動。
JR東中野駅から東京メトロ落合駅西武新宿線新井薬師駅経由でJR中野駅まで歩く。



東中野駅北側エリアを散策。
細い路地を北西へ向かって歩く。
急にお寺がたくさんあるエリアへ突入した。



東中野駅

スタートのJR東中野駅











◆アクア東中野

銭湯♪









染井吉野の歌碑

いつみても 染井吉野
  平らかに 女王の如く美しく咲け 
               青嵐


さくら並木の由来

 このあたりは、古くからさくらの名所とうたわれ、 八重ざくらが山一杯に咲きほこっていました。しかし残念なことに、そのさくらは戦災によってすべて枯れてしまいました。
 昭和二十九年、元のさくらの山をよみがえらせたいと、地元の方々が埼玉からソメイヨシノの苗木を購入して植付けました。
 皆さんが大切に育てた努力が実って、今では毎年、美しい花を見せてくれる大きな桜の木に成長しました。
 昭和六十二年には、特にその功績が大きかった東中野桜並木保存会が「日本さくらの会」より表彰されました。
 このさくら並木は、近隣はもとより、車窓を通して電車の乗客の方々の心も和ませてくれる地域のシンボルとなっており、お花見の季節には、毎年さくら祭が盛大に開催されています。










◆健康浴泉

銭湯♪










◆青原寺


鐘楼









◆源通寺


河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)の墓所

江戸時代末から明治の中頃に活躍した大劇作家、河竹黙阿弥(本性吉村、二代河竹新七、(1816~1893)の墓所が、当寺の墓地入口にあります。
黙阿弥は、鼠小僧次郎吉を義賊にした作品をはじめ、「三人吉三(さんにんきちざ)」や「白波(しらなみ)五人男」などの盗賊を主人公とした生世話狂言で、世相を写実的に描く近代演劇への道をひらきました。
しかし、幕府が写実的傾向を禁じて勧善懲悪を奨励したため、黙阿弥は作風の転換を強いられ、その後、幕末・維新期の激動する社会のなかで、江戸時代後期の歌舞伎の創作法を整理・集大成し、「真に江戸演劇の大問屋」と坪内逍遥に評される仕事をなしとげました。
黙阿弥の作品は、四代市川小団次をはじめとする歴代の名優によって演じられました。
明治四十一年、当寺が移転したとき黙阿弥の墓も浅草から移されました。









◆高徳寺


新井白石

 江戸中期の朱子学者、政治家。名は君美(きんみ)、通称 勘解由(かげゆ)、白石は号。木下順庵に朱子学を学び、その推挙により甲府の徳川綱豊(のちの家宣)の儒臣となり、宝永六年(1709)家宣が将軍になると幕臣として、間部詮房(まなべあきひさとともに家宣を補佐。正德の治を開き、教学と政治の一致につとめた。武家諸法度改訂、貨幣改鋳、海舶互市新令の施行、儀式典礼の整備などはそのおもな事績である。享保元年(1716)引退。学者として特にすぐれ合理性と実証を重んじ、朱子学的思考と実践の結合した合理主義者であり、日本古代史に合理的解釈を試み、外国事情にも意を用いた。主著「藩翰譜(はんかんふ)」「読史余論(どくしよろん)」「西洋紀聞(せいようきぶん)」「采覧異言(さいらんいげん)」「折(おり)たく柴(しば)の記」など。








続く。