2021/04/22 千住散歩 05 地藏堂・厄除地蔵尊/大川町氷川神社/ニコニコ商店街/ブリキヤ/大正通り商店会/勝美堂病院/ニコニコ湯/金の湯

ここでも徐々に西へ進む。
銭湯が近いところにたくさんあるね。




◆千宝山 新橋霊場 地藏堂 厄除地蔵尊



 鄉土博物館では平成二十四年・足立区制八十周年を迎えるにあたり、「足立区文化遺產調查」を行っています。
 このうち、 千住地区を対象に生活文化や年中行事を調査する「千住生活史調査」がありまず。今回はその一環として調査を行った千住大川町千住厄除地蔵講について報告します。

地蔵尊について
足立区立千寿双葉小学校の一画に、(千住大川町一七付近)、「千宝山新霊場地蔵堂」の石柱が建てられた地蔵堂があります。「新橋」とは千住新橋を指すと考
えられます。これが千住厄除地蔵堂です。 そこに厄除地蔵と呼ばれる地蔵像が祀られています。
 千住厄除地蔵堂には計四体の地蔵石像が祀られ、お堂に向って右から「火難除地蔵」「子育地蔵」「厄除地蔵」「水洗地蔵」、と呼ばはれています。
このうち、最も初めに祀られたのが「火難除地蔵」で、昭和三年頃、千寿第三小学校(現、千寿双葉小学校)が火災に遭い、土地を整理していたところ土の中から地蔵像が出てきたため、火難除けとして祀るようになったのがはじまりとされています。この他にも、小学校を改築するため土地を整理していたところ土の中
から出てきたなど、諸説いわれがあります。
 その後、昭和十九年九月に子育地蔵、昭和二十二年に厄除地蔵、昭和五十七年五月に水洗地蔵が建立されました。
子育地蔵は元々千住大川町の相馬湯という※※※※※祀られていたもので、戦前に火災が多※※※※※※

※の部分は隠れて見えなかった。
続きがありそう。


水洗地蔵


厄除地蔵


子育地蔵/火難除地蔵


人生の道

幸福になる人           不幸になる人
早寝早起きのできる人       夜ふかし朝寝ぼうの人
仕事が楽しく一日送れる人     やる気がなく仕事をさぼる人
義務と権利をはっきりさせる人   義務より権利を主張する人
礼儀と時間をしっかり守る人    時間も物も無駄にする人
人も自分も尊敬できる人      絶えず不満や愚(知)を言う人
素直に反省し改められる人     心が狭くすぐ腹を立てる人
何事も善意に解釈する人      自分を卑下し自信のもてない人
注意深く決断の速い人       取越し苦労でたえず迷っている人
心身の健康を常に心掛ける人    暴飲暴食が止められない人
質素でも金を治かして使う人    賭事にお金を浪費する人
両親を大事にし恩に報いる人    欲が深く自惚れの強い人
人に情は厚くうらみはもたぬ人   利己的気まま自分本位の人
恥を知り嘘をつかない人      陰口が多く人の和を乱す人
信念を持ち辛抱強い人       依頼心が強く苦労のできない人
どんな苦難にもたえられる人    悪友と道楽の眼が多すぎる人
生き甲斐を求め精進する人     公徳心なく迷惑を掛ける人


厄除け地蔵尊縁起

古来の伝承に日く「昔この地に祀られし佛像永き年月の移りに何時しか野に埋もれたまいし」と
其の後近在にもろもろの災難が続く折古老に啓示あり
「ここに尊像を祀り篤く信仰せよ、さらば火難 水難すべての厄は除けられん」と
折しも六拾有余年前有志集り此處に石堂を建立再来せる佛像と共にあらたに地蔵尊を安置してより、うち続きし災難も次第にうすれそのご霊験いよいよあらたかなり 以来信仰心熱き近郷近在の善男善女ひきも切らず終日参拝の煙たなびくなり。









大川町氷川神社


千住七福神 布袋様


旧千住新橋の標柱



 この石柱は、旧千住新橋の親柱である。
 千住新橋は、明治四十四年から荒川放水路の大改修計画の一環として、大正九年より同十三年までの永い歳月と、119万円を費して完成したものである。橋の構造、規模は、長さ452.7m、幅7.2m、鋼板桁の近代橋であった。
 その後昭和三十二年に幅17mに拡幅され、東北地方への玄関口として機能を果たしてきたが、提防の嵩(かさ)上げ、著しい橋桁の老朽化、さらに交通量の増大などで架け替えをすることとなったのである。
 架け替えに当り永年観しんできた旧千住新橋の採柱を大川町東町会の要請により、氷川神社の協賛を得て記念のためこの地へ移したものである。


紙すきの碑



 足立区は、江戸時代から、紙すき業が盛んであり、新編武蔵風土記稿にも、各村の項でそのことが述べられている。
この歌碑は、天保十四年(1843)6月晦日、幕府の命により、地すき紙を献上した時の喜びの記念碑である。
 碑文の上部に、永(永続連、同業組合の印)の題字があり、「水無月のつこもりの日公より岳のすき立仰付られる時」という前書きが続く。歌は「すきかえしせさするわさは田をつくるひなの賎らにあにしかめやも」「天保十あまり四とせ癸卯四角斉丸勇」と刻まれている。
 紙すきが、稲作にも劣らない仕事であるという自讃の歌である。台座石に二十一軒の問屋石が記されている。
 荒川放水路開削のため、この碑は、大正6年に移転し、再建された。
 足立の紙すきを物語る貴重な資料である。


富士塚



 富士塚は文政七年(1824)築造。最近木花開耶姫命。現在地に移築される以前は、町の西北(元宿)川田耕地に、氷川社、稲荷社、浅間社が同じ境内に鎮座していた。
 明治四十四年荒川放水路開削工事開始に伴い、大正五年五月、現在地よりやや西側に移築された。その後、東京都の水道幹線工事のため、昭和四十三年六月現在地に移築復元され、今日に至っている。
 塚は、富士山の溶岩を積み上げ、固めて築造され、高さ3mである。
 山頂に、天保二年(1831)銘の石祠が安置されている。塔碑が多く、最古の碑は、文政七年(1824)のもので丸藤惣同行富士三十三度大願成就とある。
 この講社は、高田(早稲田)の身禄同行の枝講で、講名を、丸藤千住13夜同行と呼ぶ。講中は、千住5丁目と、千住大川町全域に及び、かつては、対岸の埼玉県を含む広範囲な地域の農民中心の講社であった。
 毎年七月一日祭礼が行われる。




鳥居



参道入口・鳥居









◆ニコニコ商店街

商店街♪










◆ブリキヤ

一応「史跡」扱いになっている。
ネットで調べると情報や画像はたくさんあるが、信頼できる情報が無い。



google mapマークの位置は上の写真の所辺り。
というか「ブリキヤ」って書いてあるね。
挙動がおかしいのでこのマークは消えるかもしれない。









◆大正通り商店会

商店街♪











◆勝美堂病院









◆ニコニコ湯

銭湯♪










◆金の湯

銭湯♪












続く。