千住ほんちょう商店街(旧日光街道)の1本東側の通りを南下。
新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)の当寺は、延享元年(1744)の緣起によると,寬永四年(1627)に出羽湯殿山の行者、雲海がここに庵を結ぶとあり、後に賢俊(けんしゅん)が開山したという。九代将軍德川家重の延享年間(1744~48)、十六世栄照(えいしょう)の代は殊に栄えた。
本尊は、木造の蒸師如来小立像であり、定朝(じょうちょう)風の名作である。
当寺の山号を記した扁額(へきがく)「月松山」(足立区登録有形文化財)は、明治二年(1869)、当地の寺子屋「群雀堂(ぐんじゃくどう)三代の校主、正木健の筆である。「心香尼碣(すんこうにけつ)」は、同じく二代校主、正木大助(櫟蔭(れきいん))の撰文で、正木氏の遠戚にあたる心香尼の人となりを叙したものである。
また、石造魚藍靚音立像(足立区登録有形文化財)、乳泉石及び箱(足立区登録有形民俗文化財)、貞享三年(1686)銘の庚申塔(足立区登録有形民俗文化財) が
あるほか、享保十七年(1732)の宝篋印塔、目やみ地藏等がある。
境内の「八十八か所巡り毛彫石碣(せっけつ)」は、芸術の香り高い作品であり、民俗信仰を知る上で、貴重なものである。
◆金蔵寺
水子地蔵
続く。