2021/05/07 南千住散歩 06 荒川消防署南千住出張所/真養寺/金福稲荷神社/公園/豊川稲荷/南千住仲通り

ここでも細い路地を南下。



◆荒川消防署南千住出張所








◆真養寺



 運千山真養寺は、寛永二年(1625)、下谷三枚橋(現台東区)に開創した広布山真養寺と、万治二年(1659)、当地に創建された運千山自性院が、元禄二年(1689)に合寺して開かれた寺院である。
 吉田勘兵衛は、自性院創建の際に、寺地2240坪を寄進し、鬼子母神堂や庫裡、書院なども建てたと伝えられる。境内には、吉田勘兵衛が先祖供養のために建立した寛文十一年(1671)二月銘の宝塔が今も残る。
 勘兵衛は、現在の大阪府豊能郡出身で、寛永頃江戸に下り、本材木町4丁目(現中央区)に住んだ。石材・材木商として、江戸城の普請工事に参加し、万治二年(1659)には、吉田新田(現横浜市中区・南区)を開発したことで知られている。
 なお、小塚原周辺でも新田開発を行ったとされており、万治三年(1660)、小塚原町・中村町が千住宿に加宿されたことと、勘兵衛の新田開発との関連が指摘されている。









◆金福稲荷神社



 当金福稲荷神社は、文化七年江戸時代の史家林大学頭編纂による「新編武蔵風土記稿」中に、この近一帯は往昔「武蔵国中村」と称せられ、今から凡そ六百年前の貞和五年足利時代に現西光寺境内地に「金子福寿稲荷」として創建されたものと記録され、その後、天文年間に西光寺が建立され、この金福稲荷が由緒ある霊験あらたかな神として地元の崇敬の中心となっておりました。かヽる由緒深い稲荷神社が戦災後信仰深い融資の方々により昭和三十ニ年二月に西光寺境内に再建復元され、この度現在地に遷座いたし、益々地元の福祉と発展の守護神としてお祀りした次第であります。









◆公園



google map マークの場所は上の写真の所辺り。
公園名が分かりません。
お分かりの方がいらっしゃいましたら教えてください。
ぺこ <(_ _)>









豊川稲荷



豊川稲荷は正式名「妙巌寺」山号「園福山」曹洞宗の寺院です。
当寺院でお祀りしておりますのは鎮守『豐川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)』です。

豐川吒枳尼眞天
七百余年前 禅僧寒巌禅師(かんがんぜんじ)は、「時世を救う」と大信念を貫いて二度までも宋国(現中国)に渡りました。二度目の帰路の時、船に乗り海上に出られた時、霊神が空中に姿を現されました。
その麗(うるわしき)霊神は稲束を荷い、手に宝珠を捧げ白狐に 跨って「唵尸羅婆陀尼黎吽娑婆訶(おんしらばったにりうんそわか)」を唱えながら現れました。【われは旺根尼冥天なり、今より将に師の法を護するにこの神咒(じんしゅ)を以てし、また師の教化に帰服する者を守りて、常に安穏快楽ならしめん、必ず疑うこと勿れ】この出来事に寒厳禅
師は深く感激を受けて帰国後、自ら霊神の形像を刻まれ、護法の善神としてお祀りになり、常に人々に真言を唱念し、御祈祷するように訓(おし)えられました。










◆南千住仲通り

商店街♪










続く。