2021/05/09 台東区橋場散歩 04 山内容堂別邸跡/石浜公園/光照院/東禅寺/日の出会商店街/栄湯

南東へ進み、墨田川近くへ至る。



山内容堂別邸跡

現地には説明板などは見当たらなかった。



google mapマークの位置は上の写真の所辺り。


『山内 容堂 / 豊信(やまうち ようどう / とよしげ)は、幕末の外様大名土佐藩15代藩主(文政元年10月9日(1827年11月27日) - 明治5年(1872年)6月)。官位は、従四位下・土佐守・侍従、のちに従二位・権中納言まで昇進、明治時代には麝香間祗候に列し、生前位階は正二位まで昇った。薨去後は従一位贈位された。諱は豊信。隠居後の号は容堂。
土佐藩連枝の南邸山内家当主・山内豊著(12代藩主・山内豊資の弟)の長男。母は側室の平石氏。酒と女と詩を愛し、自らを「鯨海酔侯(げいかいすいこう)」と称した。藩政改革を断行し、幕末の四賢侯の一人として評価される一方で、当時の志士たちからは、幕末の時流に上手く乗ろうとした態度を「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄された。』
『隠居生活は当時、別荘地として知られた橋場(東京都台東区)の別邸(綾瀬草堂)で、妾を十数人も囲い、酒と女と作詩に明け暮れる豪奢な晩年を送った。 』とあった。詳しい番地などは書かれていなかったが、だいたいこの辺りで合っているだろう。
山内容堂 - Wikipedia







◆石浜公園


石浜公園トイレ



 このトイレには平賀源内が復元制作したエレキテル(摩擦起電機(まさつきでんき)をモチーフにした外観としました。石浜公園の近くには平賀源内の墓所があり、平賀源内を冠したお祭りが開催されています。
 讃岐国志度浦(さぬきのくにしどうら)(現在の香川県さぬき市志度)で生まれた平賀源内 (享保13年(1728)~安永8年(1779))は、二度目の長崎遊学時に、和蘭通詞(わらんつうじ)の家で所蔵していた壊れたエレキテルに興味を持ち、それを江戸に持ち帰りました。そして、約6年の歳月をかけて安永5年(1776)に「エレキテル」を数台作り出しました。そのエレキテルを江戸の大名屋敷などで見世物として、また病気治療を目的として使用していました。







◆光照院








東禅寺



 江戸六地蔵は、深川の地蔵坊正元が病気平癒に感謝して造立を発願し、多くの人々の浄財を集め、江戸市中六ヶ所に勧請したものである。全身にある陰刻から神田鍋町の鋳物師太田駿河守正義によって鋳造されたことがわかる。本像の高さは2.71m、品川寺に次いで第2番の宝永七年(1710)に造立された。他の六地蔵は鍍金が施されているのに対し、記録では本像は像の表面を布目条にやすりをかけ、弁柄色の漆を塗った上に金箔を置いたあとが残っていたとある。永年の風雨により、損傷が著しかったため、平成十一年(1999)に修復工事を行った。胎内仏として小形の銅造六地蔵菩薩坐像等が現存する。
 なお、江戸六地蔵は次のとおりである。
  品川寺 品川区南品川3丁目
  太宗寺 新宿区新宿2丁目
  真性寺 豊島区巣鴨3丁目
  霊巌寺 江東区白河1丁目
  永代寺 江東区(消滅)
 東京都文化財保護条例(昭和五十一年三月三十一日改正)により文化財指定種別を都重宝から東京都指定有形文化財に変更しましたので、石造標識については、このように読み替えてください。


木村安兵衛と妻ブナの夫婦像



麺麭祖の由来
 木村安兵衛門翁は文化の末年 ( 1817年 ) 下総国河内郡長岡又兵衛の次男に生まれ長して茨城県北相馬郡川原代村木村家に入り長女文女を娶り青年時青雲の志を抱いて江戸に出て藤堂藩に仕官市内見廻役御蔵番等の役についていた。 
 明治維新に際し太政官出仕授産場の長を勤めていた伯父木村重義氏より入所者中に元長崎オランダ家敷にてパンの製法を習得した梅吉なる者の推薦を受けパン食の将来を先見し直ちに同氏を起用し明治二年 ( 1869年 ) 我国最初のパン店を東京芝日陰町に三男英三郎氏をして開業せしめたのである。
 然るに創業時の『ハツプス種』による食パンは当時の日本人には容易に受けいれられず経営も仲々困難を極めたが日夜克苦製品の研究に心血を注ぎ其間、初代英三郎氏四男儀四郎氏の協力を得て遂に明治六年 ( 1873年 ) 酒種酵母菌による日本独特のアンパンを考案したところ偶々日本人の嗜好に合致し怱ちその名声を博しえに依り我国にパン食普及の基を造ったのである。
 爾来九十年代々門下の指導養成に勉め木村家の名はパン屋の代名詞とまで云われる迄に至った。
 又文女は終始翁を扶けて創業時の苦難に堪え明治二十二年 ( 1889年 ) 翁の没後も克くその家名を保つと共に斯業の発展を図り明治三十年 ( 1897年 ) 四男儀四郎氏の継承を得て天寿を全うしたのである。
 今度六代目総本店当主木村栄一氏によって始祖御夫妻の記念像再建せらるるに当り始祖の偉業は我々木村家一門の亀鑑として感銘深きは勿論広く業界後進の指針として永くその御遺徳を偲び此の碑文を刻んで茲に顕彰する次第である。







◆日の出会商店街

商店街♪








◆栄湯

銭湯♪



銭湯図解♪










続く。