まだまだ東へ進んで水神大橋を渡り、墨田川の反対側へ。
こちらも以前の日記とだいぶかぶる。
2021/05/09 台東区橋場散歩 01 南千住駅/南千住ソナタ通り/千住検車区/胡録神社/汐入公園/瑞光橋公園 - ovanの社会科見学
◆胡録神社
前に来た時に少し写真をとり残してしまったので再訪です。
汐入(胡録神社)
汐入の地は、戦国時代に上杉謙信の家臣高田氏らが、川中島合戦の際に落ちのびて、開発したと伝えるところである。明治以前、『第六天』と呼ばれた胡録神社は、汐入の境である当地を守護するために祀られたという。現在残る本田は、幕末から明治初期の様式を今に伝えている。
明治の中頃まで胡粉の製造が盛んで、今も胡粉の製造に使用した石臼や、それを転用した石灯籠が、当社や第五瑞光小学校に残されている。昭和二十七年(1952)、胡録神社に奉納された襖絵には、山と積まれた牡蠣殻が描かれ、往時の面影をしのぶことができる。
また、江戸時代、汐入大根(二年子大根)の産地としても知られ、千住の青物市場などに出荷されていたという。
道祖神
往古は旅行安全祈願の神樣として、亦足の神樣 として、汐入の村落の出入口に祀られていたが、現在では、胡録神社の境内に移され祀られているのである。神代の昔 天孫降臨の砌、 道案内を務めた神様という故事により旅の安全、足の病気平癒の神様として崇められ、祈願の折は草鞋、草履を奉納して参拝する。亦耳の病気の折は二個のお椀に穴をあけて奉納するなどの風習は今でも受け継がれて守られており、最近では、道の神様でもあるということで交通の安全を祈願する人々もおられる。
胡粉を挽いた臼
昔このあたりは地方橋場村小字汐入といわれ、今から一五○~三○○年くらい前当汐入では胡粉づくりが盛んに行われ「汐入大根」と共に有名でした。
汐入産の胡粉は品質極上で、人形、おしろい絵具の材料、能面仕上げ、元結などに使われ"かき殻"を焼いて、この石臼で粉にし、水でさらしてから丸め、乾燥して再び微粒子にして出来上がります。
大変な重労働でしたが、機械で作られるようになってから衰微し、今では幾つかの挽臼が汐入に残っており、これは其の内の一つです。
神楽殿
このモニュメントは、くり抜いた数字(時刻)の影が、中央の円筒の部分に落ちることで、時を計る日時計の機能を兼ね備えています。
時刻の影は、夏場では筒の下、冬場では上、春秋では中ほどに現れます。
このモニュメントは、細かい時刻を読むものではありません。
しかし、実際の太陽の動きと、私たちが生活で使う24時間(平均太陽時)とで、一年を通して少しずつ変化します。
大きい所では、約15分もずれてしまいますので、下表の均時差換算表(単位・分)で、自国の補正をして下さい。
また、裏面の太陽電池式時計と見比べてください。
◆東京都立産業技術高等専門学校 荒川キャンパス
最初スターハウスなのかと思った。
家に帰ってから調べると学校だった。
google mapの航空写真から。
◆水神大橋
下は墨田川。
◆東京都リハビリテーション病院
続く。