2021/05/26 雑司が谷散歩 05 金乗院/宿坂/鬼子母神表参道入口/のぞき坂/早稲田30号踏み切り/千登世橋/雑司が谷駅

こちらでも坂を巡りながら少しずつ西へ移動。
雑司が谷駅でゴール。



金乗院



 金乗院真言宗豊山派の寺院で、開山永順が本尊の聖観世音菩薩を勧請して観音堂を築いたのが草創とされています。永順の没年は文禄三年(1594)六月であることから、それより以前、天正年間(1573-92)の創建と考えられます。当所は蓮花山金乗院と称し、中野宝仙寺の末寺でしたが、のちに神霊山金乗院慈眼寺と改め、護国寺の末寺となりました。
 江戸時代には近辺の此花咲耶姫社などの別当でしたが、昭和二十年四月の戦災で本堂等の建物や、水戸光圀の手になるという此花咲耶姫の額などの宝物は焼失しました。現在の本堂は昭和46年に再建され、平成15年に全面改修されました。
 目白不動堂(東豊山浄滝院新長谷寺)は、元和四年(1618)大和長谷寺代世小池坊秀算が中興し、関口駒井町(文京区)にありましたが、昭和二十年五月の戦災により焼失したため、金乗院に合併し、本尊の目白不動明王像を移しました。
 目白不動明王は、江戸守護の江戸五色不動(青・黄・赤・白・黒)の随一として名高く、目白の号は寛永年間(1624-44)に三代将軍徳川家光の命によるといわれています。
 墓地には槍術の達人丸はし忠弥、青柳文庫を創設した青柳文蔵などの墓があり、境内には寛文六年(1666)造立の倶利伽羅不動庚申塔をはじめ、寛政十二年(1800)造立の鍔塚など多くの石造物があります。


宿坂道

 中世の頃、「宿坂(しゅくさか)の関」と呼ばれる場所がこの辺りにありました。天保七年(1836)出版の『 江戸名所図会 』には、 金乗院 (こんじょういん)とともに「宿坂関旧址(しゅくさかのせききゅうし)」が描かれています。金乗院の裏門の辺りにわずかな平地があり、立丁場(たつちょうば)と呼ばれ、昔 関所 があった跡であるとの伝承が記されています。この坂の名が「宿坂」といわれているのは、おそらくこれにちなむものと思われます。
 また金子直徳(なおのり)著『若葉の梢』(寛政十年・1798)によれば、 宿坂の関 は関東お留(とめ)の関で、 鎌倉街道 の道筋にあったといわれています。鎌倉街道は、 高田馬場 から 雑司ヶ谷 鬼子母神方面へ抜ける街道で、現在の宿坂道よりやや東寄りに位置していたようです。
 江戸時代には竹木が生い茂り、昼なお暗く、くらやみ坂 と呼ばれ、狐や狸が出て通行人を化かしたという話が今に伝わっています。


鍔(つば)塚

刀の「鍔」の塚であろう。
初めて見たかも?


庚申塔


目白不動尊


石塔群

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立派な庚申塔が多い。


山門









◆宿坂

坂下。
こちらも説明板など見当たらなかった。
左の建物が上記金乗院



坂上









鬼子母神表参道入口

商店街♪









◆のぞき坂

坂上
こちらも説明板などは見当たらなかった。



坂下。









◆早稲田30号踏み切り

都電荒川線の踏切。












◆千登世橋

下は明治通り










雑司が谷駅





散歩は少し暑かったかなあ。
高低差もあって少し辟易した(w
トイレはあちこちにあった。
次回は半分残した霊園(東側)とその近辺の予定。






一つだけ別にした雑司が谷霊園の日記へ続く。