2021/06/13 01 雑司が谷散歩 03 関口二丁目歩道橋/東京カテドラル聖マリア大聖堂/ホテル椿山荘/講談社野間記念館/和敬塾/旧町名案内板/幽霊坂

神田川から離れて目白通りへ入る。
通りを北西へ進む。
このあたりも何度か来たことがある場所。
途中幽霊坂へ入り南へ進む。
2018/08/19 護国寺散歩 04 関口台公園/鉄砲坂/東京音楽大学/東京カテドラル聖マリア大聖堂/桂林禪寺/三丁目坂/文京雑司が谷ひろば - ovanの社会科見学
2019/04/07 一人花見(新木場、椿山荘) - ovanの社会科見学
2019/01/28 01 ホテル「椿山荘」 - ovanの社会科見学
2018/08/21 江戸川橋散歩 04 講談社野間記念館/旧高田老松町/和敬塾/旧高田老松町/小石川消防署老松出張所/目白台運動公園/肥後細川庭園 - ovanの社会科見学



◆関口二丁目歩道橋

下は目白通り








東京カテドラル聖マリア大聖堂







◆ホテル椿山荘

会社のパーティで使ったり、お泊りしたり。
思い出の深いホテル。







講談社野間記念館

前回に引き続き今回も休み。
つか、コロナだからしばらくやっていなかったのかも?
と思ってHPを見てみたら建て替え工事中なんだとか。


HP
講談社 野間記念館


講談社野間記念館(こうだんしゃのまきねんかん)は、東京都文京区関口2丁目にある美術館。講談社創業90周年を記念して、2000年4月に設立された。講談社の初代社長である野間清治が集めた「野間コレクション」と呼ばれる美術品をはじめ、同社の出版事業に関係する出版文化遺産なども展示されている。』
講談社野間記念館 - Wikipedia


『野間 清治(のま せいじ、1878年12月17日 - 1938年10月16日)は、講談社創業者であり、元報知新聞社社長。「雑誌王」とよばれ、昭和時代前期の出版界を牽引した。 』
野間清治 - Wikipedia







和敬塾



 財団法人和敬塾は、首都圏のさまざまな大学で学ぶ男子学生のための学生寮です。海外からの留学生も含め五百余名の大学生・大学院生がここで共同生活を送っています。
 約七千坪の敷地には、学部生寮と大学院生寮、ならびに東京都指定有形文化財の本館(旧細川公爵邸)があります。
 常に理想を求める事業家だった前川善作(一八九五〜一九八六)によって、昭和三十年(一九五五年)この地に和敬塾が設立されました。「国家社会の各方面において中堅となり先達となり支柱となるべき人材の育成」を創設の目的に掲げています。
 聖徳太子 の十七条憲法 の第一条「和をもって貴しとなす」から「和」を、第二条「篤く三宝を敬え」から「敬」をとって名づけられました。
 「人間形成、修養の場として」「日常の共同生活を通じて学生諸君にセルフメイドしてもらう」というのが前川善作の希いでした。
 毎年百余名の若者が社会に巣立ち、多方面で活躍しています。







◆旧町名案内板(旧高田老松町)



 明治5年、高田四ツ谷町の内と高田四ツ谷下町を併せ、さらに旧土井能登守(越前大野藩・6万石)、細川越中守(肥後熊本藩・54万石)の下屋敷武家地を合併した。そして、町名を高田老松町とした。
 旧高田老松町76番地の細川邸の門前に昔2株の老松があり、鶴亀松といった。左手の松は見上げるように高くて鶴の松と言い、右手の松はやや低く平らなのを亀の松と呼んだ。
 町名は、この縁起の良い老松からとったといわれる。鶴の方葉明治38年頃枯れ、亀の松は昭和8年頃枯れた。







幽霊坂

坂上
特に説明板などは見当たらなかった。
とてもうっそうとしている。



坂途中。



坂途中。



坂下。







続く。