2021/06/13 02 江古田散歩 01 大山駅/ハッピーロード商店街/山中通り商店街/田崎病院/千川上水と水神様/板橋交通公園/千川二丁目児童遊園

東武東上線からハッピーロード商店街を西へ進む。
川越街道を渡って細い路地に入り西へ進む。
こちらも前に来たところとかぶる場所が多い。
2021/02/11 中板橋散歩 10 大山福地蔵尊/ハッピーロード大山/庚申塔/日本大学医学部付属板橋病院/大谷口氷川神社/庚申塔 - ovanの社会科見学
2021/02/18 大山散歩 07 大山駅(南口)/ハッピーロード大山/にゃんまる地蔵/大山歩道橋/田崎病院/幸町商店会 - ovanの社会科見学
2021/04/22 千住散歩 04 安養院/千住本町住区センター/横山家住宅/千住絵馬屋・吉田家/ハッピーロード商店会/大黒湯/いろは通り - ovanの社会科見学




大山駅

東武東上線大山駅










◆ハッピーロード商店街

商店街♪
ここはいつも賑やかだねぇ。


富士そば



ラーメン食べた。









◆山中通り商店街

商店街♪
ハッピーロードから分岐していた商店街だった。



「山」が抜けている・・・。









◆田崎病院









千川上水と水神様



 千川上水は、この案内板の前の道の下を流れています。
 この上水は、元禄九年(1696)、小石川御殿(文京区白山)や湯島聖堂などの将軍御成の場所に給水する目的で造られました。
 その流路は、現在の西東京市新町の境橋で玉川上水から分水し、練馬区千川通り沿いに流れ、板橋区内を通り、中山道に沿って西巣鴨へと達しています。そこからは、木樋という木製の水道管で、江戸の御府内へと給水されていました。
 しかし、宝永四年(1707)以降は、練馬や板橋地域の農業用水として主に利用されるようになり、流域の新田開発に大きく貢献しました。また、板橋宿内に所在する加賀藩下屋敷平尾邸内の池泉回遊式庭園にあった大池の水源ともなっていました。
 明治期には、板橋町に設けられた精米・精穀のための水車の動力源や、板橋火薬製造所の工場用水として利用されていました。明治十三年(1880)には千川水道会社が設けられ、東京市内の飲料水として再度利用されました。
 その後、水質の悪化や近代水道の発達により明治四十年(1907)に飲料水としての利用が停止されました。昭和戦後期以降は、暗渠化が進みました。



判別できない文字が多すぎるため文字化を断念。









◆板橋交通公園






 この案内板の前の道は、千川(せんかわ)上水の上に作られ ています。
 千川上水は、元禄九年(1696)、小石川御殿 (文京区白山)や湯島聖堂などの将軍御成(おなり)の場所に飲料水を供給するために作られました。
 その流路は、現在の保谷市新町の境橋で王川上水から分水し、練馬区千川通り沿いに流れ、板橋区を通り、中山道に沿って西巣鴨へ達するものです。そこからは、木樋(もくひ)という木製の水道管で、 先の御殿などへ給水されていました。
 しかし、宝永四年(170)以降は、練馬や板 橋地域の農業用水として主に利用されるようになり、流域の新田開発に大きく貢献しました。明治 時代には、東京市内の飲料水として再度使用された時期があります。また水車の動力源としてもこの水は活用されました。 その後、水質の悪化や近代水道の発達により、 明治四十年(190)に飲料水としての使用が停止され、昭和以降、暗渠(あんきょ)化が進みました。
 平成元年(1989)からは、都の清流復活事業により、旧流路に水が流されています。









◆千川二丁目児童遊園









続く。