2021/06/18 足立鹿浜散歩 03 芝川水門/糀屋金比羅神社/岩淵水門/松陽丸・蒼海丸/名勝荒川堤櫻/昔の農機具展示室/江北の五色桜資料展示室

新芝川、首都高速川口線沿いに北へ向かう。



◆芝川水門

こちらは一度見学したことがある。
2016/02/27 part3 荒川水門探訪ー水門施設見学と荒川の歴史ー - ovanの社会科見学









糀屋金比羅神社








◆岩淵水門

こちらも一度見学したことがある。
2016/02/27 part3 荒川水門探訪ー水門施設見学と荒川の歴史ー - ovanの社会科見学









◆松陽丸・蒼海丸



二つとも屋号も兼ねているね。








◆名勝荒川堤櫻



 五色桜は、明治十九年(1886)三月、後の江北村村長清水謙吾の主導で、地元民が資金を出し合い、七十八品種三二二五本の桜を荒川堤上約6km仁植えたのがはじまりである。苗木は駒込(豊島区)の桜専門業者高木孫右衛門が栽培した逸品で、花の色が数種あったので、五色桜の名で呼ばれるようになった。当時は、荒川(現偶田川)に多くの乗合船が出て、定期航路が臨時便を江北まで延長するなど、多くの花見客で賑わった。
 明治四十五年(1912)には、当時の東京市長尾崎行雄アメリカ合衆国の首都ワシントンに五色桜の接穂(つぎほ)を踏呈し、ポトマック河畔に植えられた。
 大正十三年(1924)十二月、内務大臣により国の史跡名勝天然記念物に指定されるほどの名所となっていた。そのことを示すのが子の石碑である。
 石碑は、江北二丁目の飛ばす荒川土手バス停付近の荒川堤防脇に設置されていたが、補助第113号道路建設工事の支障となり、教育委員会に保管されていたものを現在地に移転し、今に至っている。
 近代東京有教の名所のひとつであった荒川堤五色桜は、昭和二十年代に姿を消したが、昭和五十六年(1981)二月に、当時のナンシー・レーガン大統領夫人が足立区に桜を送り、舎人公園に植樹され(レーガン桜)同年にはポトマック河畔からさくらの里帰りも実現し、区内各地の公園・学校などに植えられ、五色桜を現代に伝えている。


都市農業公園とスーパー堤防








◆昔の農機具展示室

博物館の部類に入るんだろうけど・・・・。
昔の農機具が展示されていたけれdど、展示数が少なくだいぶ物足りなかったなあ。









◆江北の五色桜資料展示室

五色桜が見られる名所やスポットなどが展示。
こちらも博物館の類に入るんだろうけど物足りなさすぎる・・・・。

五色桜とは。
五色桜|足立区











続く。