2021/06/20 西新井散歩 02 荒川江北橋緑地/東京銘菓 大江戸/扇西公園/性翁寺/飛鳥興産株式会社/サッポロビール株式会社足立流通センター/五色堤公園

ここでもほぼ荒川沿いに北西へ進む。




◆荒川江北橋緑地







◆東京銘菓 大江戸

HPがあった。
どれも美味しそう♪







◆扇西公園








◆性翁寺



 京都知恩院(ちおんいん)を総本山とする浄土宗の寺院。寺伝では神亀(じんき)三年(726)行基菩薩が庵を開いたのが始まりで、足立荘司宮城宰相が開基となり、明応元年(1492)には正誉龍呑上人が開山となったと伝える。江戸時代にはいると阿出川対馬守貞次が中興開基となり慶安元年(1648)には三代将軍徳川家光から朱印地10石を与えられる格式を持った。
 本尊の木像阿弥陀如来坐像は古代の作成で、東京都指定文化財。この本尊は悲運の女性・足立姫の菩提を弔うため行基菩薩が作成した六阿弥陀の余りの木で作られたという伝説を持つ。ここから広く女人往生の「木余り寺」として知られるようになり、多くの江戸・東京庶民の参詣地となった。
 また寺内には永禄十三年(1570)の阿弥陀三尊種字板碑や、当寺の由来を記した縁起があり、いずれも足立区登録有形文化財。ほかに六阿弥陀伝説を描いた絵巻きを伝来している。
 当寺は、このように様々な歴史と文化財に彩られた区内有数の寺院である。










◆飛鳥興産株式会社

何やら七福神がおいてあったので撮ってみた。
HPがあった。
飛鳥興産株式会社







サッポロビール株式会社足立流通センター

中はビールがいっぱいなんだろうなあ♪







◆五色堤公園



 明治時代の末頃、このあたりの土手の桜は「荒川の五色桜」と呼ばれ、世界的に有名な桜の名所でした。ワシントンのポトマック公園の桜も、明治45年当時の東京市長尾崎行雄が、江北の桜を贈ったものです。
 その後、この五色桜は土手の改修工事などで伐られたりして衰え始め、終戦後の昭和22年頃には全滅してしまいました。(なんと……!)
 足立区では昭和27年、ワシントンからもらった桜を中心に復活をはかりましたが、障害が多くあまり成功しませんでした。今般の高速道路工事のため、その桜は大部分が当公園に移植されました。
 公園名は荒川堤の五色桜にちなみ「五色堤」と名付け、区では昭和57年、区政50周年を記念して第二回目の里帰りをした桜も、この公園に植えることにしました。
 どうか皆さんこの歴史ある桜を愛し、大切に育ててください。








 この石碑は、東京都市計画道路補助線113号線築造工事に支障となり
 江北二丁目五十七番地先よりこの場所に移転されたものです。なお、この栽櫻記の訳文は、次のとおりです。
(表訳文)
栽櫻記
 武州荒川堤ハ、熊谷ニ起コリ千住ニ至ル。延亘(エンセン)スルコト十数里、俚俗(リゾク)謂ク所ノ熊谷堤ナリ。其ノ江北西新井ノ村ニ係(カカ)ルモノハ、堤路凸凹(オウトツ)、行歩スルコト甚ダ艱(カタ)シ。子(ワレ)甞(カ)ツテ之(コレ)ヲ修メント欲シテ、當路ニ獻言シタレドモ報(ムク)イラレズ。
洪基君。管内を巡視スルノ次(ツイテ)、予ノ家ニ憩(イコ)フ。乃懇請スルニ企圖(キト)スル所ヲ以テス。君、其ノ請(コヒ)ヲ允(ユル)セリ。越エテ明年工ヲ起コス。工竣(オワ)ル。乃謂(オモエ)ラク、櫻樹ヲ堤上ニ種(ウエ)レバ、春ル則チ花ヲ賞シ、夏ハ則チ暑ヲ避(サ)ク。未(イマ)ダ必ズシモ世ニ裨益(ヒエキ)スルコト無シトセズ、ト。乃チ之(コレ)を郡長尾崎斑象氏ニ謀(ハカ)ル。氏、稱賛シテ措(オ)カズ。因(ヨ)リテ同志ノ者ト胥議(アイハカ)リ、醵(キョ)金シテ其ノ費ニ充(ア)ツ。遂ニ數(数)十種ノ櫻三千餘株ヲ植工。實ニ十九年三月ナリ。爾来(ジライ)五裘(ゴキュウ)葛(カツ)ヲ經(ヘ)テ、樹ハ稍(ヤヤ)長ズ。夫(ソ)レ、櫻花ノ勝タル、西ニ芳(ヨシ)野嵐山アリ、東ニ東台墨陀(トウダイボクダ)アリ。然(シコ)ウシテ彼は則チ昔時(セキジ)帝都ノ在ル所、此ハ則チ今日帝都ノ在ル所、安(イヅク)ンゾ此ヲシテ彼ニ遜色アラシムベケヤ。衆(シュウ)ノ此ノ舉(キョ)アル、亦タ徒爾(トジ)ナラザルナリ。嗚呼(アア)、修堤ノ業ハ渡邊君ノ採納(サイノウ)ニ成リ、栽櫻ノ功ハ尾崎氏ノ賛襄ニ由(ヨ)ル。而シテ有志ノ者ノ力、亦タ興(アヅカ)ッテ少(スク)ナカラズ。今ヤ、稱(トナエ)テ東都ノ勝ノ彼ニ過グルト日(イ)フハ、蓋(ケダシ)溢美(イツビ)ニ非ルナリ。况ンヤ數十年後、春風駘蕩ノ日ニ方(アタ)リテ。芳雲爛漫、謂ク所ノ白銀世界ナルモノ、必ズ期スベキカ。乃チ之(コレ)ヲ記ス。
明治二十四年四月 清水謙吾識(シルス)
(裏訳文)
 栽櫻記ハ、淡如(タンジョ)清水翁ノ甞テ自ラ荒川堤ノ栽櫻ノ亊歴ヲ識(シル)ス所ナリ。信ヲ取ルコト焉(コレ)ニ過グルモノ莫(ナ)シ。大正十四年六月、里人胥(アイ)識(ハカ)リ、此ヲ石ニ刻ミ以テ不朽(キュウ)を謀(ハカ)ル。蓋(ケダ)シ必ズシモ文ヲ傳ヘントスルニハ非ズ、其ノ實ヲ傳ヘント欲スルナリ。







続く。