やっぱり荒川と東武伊勢崎線の広い範囲を南北にジグザグしながらゆっくり西へ進む。
史跡や神社がかなり固まっている。
右 旧日光道中 左 東武鉄道旧線路跡
江戶時代、この辺りは秋田藩主位竹氏が所有した広さ約五千三百坪 の抱屋敷地(私邸) であった。延宝八年(1680)には存在し、享保三年(1718)に八代将軍德川吉宗から取り壞しを命じられるまでは、構堀(かまえぼり)をめぐらす立派な屋敷だった。その威容は、佐竹氏から讓渡された資料を保存している 一般財団法人千秋(せんしゅう)文庫(千代田区)が所蔵する「梅田御屋敷绘园」に描かれている。
当社は、この屋敷地の北東隅に位置し、屋敷神として祀られ、「佐竹稲荷」と呼ばれている。現在、屋敷の面影を伝元る唯一の遺構である。神田(千代田区) にあった佐竹氏の上屋敷跡地にも佐竹格荷神社が祀られている。
当初の社殿は、寛政九年(1797) に建立された。古くから近隣の人々の信仰を集め、寛政十年の幟(のぼり)なども保存されている。每年、二月の初午(はつうま)の祭礼には、参詣者も多く、かつて当社を信仰し、他所へ移り住んだ信者からも献納物が寄せられている。
屋數の東側を日光道中・奥州道中が通っており、参勤交代などでここを通って上屋敷に入った。また、江戸で火災が起こると、秋田藩関係者の避難所としても利用された。
現在は、当屋敷を受け継いだ三谷家が、神社をお守りしている。
昭和五十七年(1982)十二月、佐竹抱屋敷跡とLて足立区登録記念物となった。
神楽殿
◆地蔵堂
◆明美湯
銭湯♪
◆三峯神社
続く