2021/06/24 足立梅田散歩 10 田中稲荷神社/冬木屋敷/冬木弁天堂/西新井役場跡/ミツワ工業㈱/本木中央通り商店会/稲荷神社

前の日記「星谷浴泉」からは細い路地を北東へ進む。




◆田中稲荷神社



田中稲荷神社御縁起
 このお楠荷椽は江戸深川冬木町の冬木五朗左衔門殿の隐居所として、現在の本木小学校を中心にした地域に居を構えたとき,、住居の鬼門除けとして裏と表の鬼門に一体づつ祀られた。その後一体を当所の田中多四郎殿に分社されたのが、この田中稻荷神社です。田中殿没後十王堂の氏子が氏神様として、春二月の初午祭、秋九月の大祭に祭礼を行い今日に至っている。現在の社殿は十王堂の氏子によって文久年間に造営になった。境内にあるお水屋は、宝暦五年(236年前)江戸深川講中と記され納められている大变貴重なものです。社殿には绘馬、南額に歷史の古さを知ることができます。神様のご利益としては家内安全と はやり風邪にかかった人達が風邪に癒えた時に感謝をこめ社殿の鈴に红白の下げ紐を奉納したのです。
 折には違いところからの参拝者もあります。本木小学校のある土地は、明曆 (1655~58)の大火の後、豪商と 材木商冬木屋の別郎であります。広さは、二町四反 (23800㎡)です。神社は現在氏子たちが年番を一年毎に交代してお守りしています。
在氏子達が年番如一年每に交代してお守りしています。


境内社


石造











◆冬木屋敷



 この地は、江戸時代の材木商冬木屋の別邸跡である。冬本屋は、明暦(1655~58)の大火後に、建物を再建するために木材の需要が高まると、豪商へと成長した。敷地の広さは、二町四反(約23,800㎡)といわれた。
 冬木屋の初代上田直次は、上野国(群馬県)から江戶へ出て、今の江東区冬木町に居を構えた。二代政親、三代政畔のころ財をなしたという。冬木屋は、尾形光琳・乾山兄弟を援助し、日本画壇に功績をもたらした。
 本木小学校北側にある冬木弁天堂は、この屋敷跡の遺構であり、元禄三年(1690)の創建という。また、学校西側の田中稲荷神社は、冬木屋の屋敷稲荷であった。江戸時代には、木場(江東区) の講中が集り、初午(はつうま)祭りが盛大に行われていたという。境内に、「宝暦乙亥(ほうれききのとい)歳 (1755)二月、江戸講中、深川講中」と刻铭した盥漱石(かんそうせき)(手と口をすすぎ、身を清めるための水が入った石)がある。


科学する心

友よ、ふたたびここであおう 
校長 竹内 計










◆冬木弁天堂











◆西新井役場跡











◆ミツワ工業㈱

気になったので撮ってみた。
おもちゃメーカーさんとのことだ。
玩具(おもちゃ)、雑貨の企画、製作 ミツワ工業_会社情報ページ










◆本木中央通り商店会

商店街♪










◆稲荷神社










続く。