2021/07/21 西新井散歩 05 東武大師線高架/栗原町会会館/不動尊/勝田堀公園/栗原排水場/足立区こども未来創造館/猿仏塚

前の「庚申塔」のところから北へ進む。
東武大師線の効果をくぐって北東へ進む。
「勝田堀公園」からは東武伊勢崎線沿いに南東へ進み、不思議な通路「栗原配水場」で、東武伊勢崎線をくぐって東へ進む。




東武大師線高架








◆栗原町会会館

WEBで調べたがあまり詳しい情報が載っていない。
町会・自治会について|足立区







不動尊

植物の陰に隠れてしまっていて見逃してしまうところだった。




すぐ近くから大師線が見えた。







◆勝田堀公園




この公園は 当組合の土地区画整理事業により権利者全員の成歩で確保されたもので施行区域の南端に位置し 公園南側の水路は勝田堀と言って当時の重要な農業用水路で源流は利根川から取水し埼玉県を横断して流れる見沼代用水を经ての一支流で往時の名を残して勝田堀公園と命名する。







◆栗原排水場





大雨が降って完遂すると通行止めになる。
ここから取水して排水するのかな?
WEBで調べてもあまり詳しいことまではわからなかった。



ここでも大師線が見えた。




google mapだと丸で囲んだ範囲内が上の写真のエリア一帯。







◆足立区こども未来創造館

ネット遊具やクライミング施設などいろんな設備が充実しているらしい。
なんとプラネタリウムまであるとのこと。
すごいね。。。

こども未来創造館|ギャラクシティ







◆猿仏塚



 猿仏塚(足立区登録有形民俗文化財)は、三基の庚申塔からなっている。中央が寛水六年(1629)、右が寛永十四年(1637)、左が延宝八年(1680)の銘をもっており、寛永の二基は区内の庚申塔でも最も古いものに属す。
 庚申塔は、六十日に一度訪れる庚申の日の夜に、皆で集まって朝まで酒食を共にする庚申待という風習に関するものである。庚申の「申」は十二支の「申(さる)」、すなわち猿に通じる。そのため、猿仏塚には猿にまつわる美しい民話が残されている。
 今から三百数十年前、この辺りの農家に、一匹の賢い猿がいた。ある日、猿が、留守番をしていると、赤ん坊が泣き始めたので、湯をわかし行水をさせたが、湯が熱すぎて赤ん坊は死んでしまう。それからというもの、猿は食事もとらず赤ん坊のお墓を守り続け、ついに死んでしまったという。
 村の人々は、この猿の心を哀れみ「仏になって子どもたちを守っておくれ」と、手厚くここに猿を葬ったという。後に、この塚は、子どもの厄除け塚となり、子どもが病気になると泥団子をあげ、病気が治ると米団子を供える風習となった。




みっけ♪









続く。