2021/07/25 小菅・綾瀬散歩 12 花畑水門/月見橋/辰沼稲荷神社/北加平公園/上の公園/加平第二公園/円泉寺

花畑水門周辺を散策後に水路(名前がわからず)沿いに東へ進む。
辰沼稲荷神社からは南西へ向かう。
途中「あだち蒸気機関車館」という私設博物館へ行こうと思ったが、次回にすることにした。




◆花畑水門

WEBページを見つけたが、目的が書いてないねぇ・・・。
花畑水門









月見橋



こちら側は花畑水門。



水門の反対は花畑運河。花畑川ともいうとのことだった。
花畑運河(はなはたうんが)は、東京都足立区東部を流れる一級河川。中川と綾瀬川を東西に結ぶ運河である。花畑川とも呼ばれる。』
花畑運河 - Wikipedia









◆辰沼稲荷神社


庚申塔










◆北加平公園









◆上の公園









◆加平第二公園



人の和が町を育て
  町の和が人を育てる









◆円泉寺

現地には「圓泉寺」とある。


石塔等


六地蔵


円泉寺の庚申塔



 園泉寺は山号を大光山、院号を観音院とする浄土宗寺院である。寺伝では正保三年(1646)開山とされ、阿弥陀如来立像を本尊として安置する。
 山門を入って左側に並んでいる五基の石造物は、庚申塔と呼ばれる。
 庚申塔は、我が国で平安時代以来盛んであった庚申信仰に基づいて造立された。この信仰は古代中国の道教から発生し、六十日でひと回りする十千十二支の「庚申(かのえさる)」の夜、寝入ると体内から三尸という虫が天に昇りその人の日頃の悪事を天帝に告げ、寿命が縮まるので徹夜をして三尸が抜け出るのを防ぎ長寿を析る俗信である。時代が下がると庶民にも広がり、江戸時代には村々に講が結成され、順番に宿を決め寄り集まって夜通し娯楽に興じることが主な目的となった。三年で結願(けちがん)とされ、庚中塔が造立された。
 庚申塔の形態は様々であり、主尊も青面金剛を中心に阿弥陀・観音・地蔵等が彫刻された。
 園泉寺所在の庚申塔は、三基が駒形(寛政九年銘・文政十一年銘・文政十二年銘)、一基が光背型(年不詳)、一基が自然石(割り石・年不詳)の形態であり、主尊は青面金剛の陽刻が三基ある。また主尊の代わりに「青面金剛」・「庚申塔」等の文字が刻まれる庚申塔は、江戸時代後期のものが多く、園泉寺所在の「青面金剛」と文字が刻まれた庚申塔も江戸時代後期の文政十一年の造立である。
 光背型の庚中塔は造立年が不明だが、園泉寺十二世「弾誉上人」の名が刻まれている。弾誉の没年が享保十八年(1733)九月四日であるために、それ以前の造立であることが確認されるとともに、地域の庚申講に地元寺院の僧侶が関与したことを示す貴重なものである。
 五基の庚中塔は、いずれも平成十八年三月に足立区登録有形民俗文化財とった。









続く。