2021/08/04 亀有散歩 05 こち亀マンホール(本田)/亀有北口商店街/一番街/田光り観音/蒲原村宿駅伝説/北山谷橋跡

亀有駅北側エリアから西側エリアへ。




こち亀マンホール(本田)










◆亀有北口商店街

商店街♪
かなり大きな商店街だね。










◆一番街

商店街♪
中は通らなかった。









◆田光り観音

 田光り観音は足立区中川三丁目西光院にあり、自然木の中央に、約1mの長さで浮彫りにされた聖観音像で12年に1回牛年に大法要が営まれている。
 今から約百数十年前、長右衛門新田5丁目耕地(現大谷田三丁目)で、作男が馬を使って耕作していると、馬がある場所まで来て必ず止まってしまう。不思議に思ってそのところを掘り返すと、中から大きな自然木がでて来た。その時は、気もとめず畦道によけて家に帰った。それから毎晩、作男の夢枕に観音様が立ち、その姿が自然木に似ていることから、田に行ってこれを洗ってみると、夢の観音様と同じであった。驚いてその旨を主人に告げ西光院に安置したと言う。この木像は足立区登録有形民俗文化財である。










◆蒲原村宿駅伝説

 寛政6年(1794)出版の「四神地名録」に、「この土地の人の言い伝えに、古隅田川の北に添った蒲原村は、むかしの駅で今も宿という地名が残っている。在原業平東下りした時『名にしおばいざこととはん都鳥我思ふ人は有りやなしや』と詠んだのはこの辺りではないか、今、隅田川と称している地は二百四~五十年以前は海だったから川があるはずがないという。」とある。
 その他の地誌にも、蒲原が古い駅路の宿だったかどうかを記しているものが多い。このため、治承4年(1180)源氏の再起を賭けて伊豆に挙兵、敗れて安房国に逃れた頼朝が、再び鎌倉をめざして下総国から武蔵国に入った時、蒲原村に宿陣したという説が地元に根強く伝わっている。




こちらもgoogle mapの挙動が怪しいので、消える寸前だと思われる。









◆北山谷橋跡



蒲原村宿駅伝説のモニュメントが見える。



隅田川(足立・葛飾区)総合案内

<概要>
 古隅田川はかつて利根川の流末の一つで、豊かな水量をもつ大河でありましたが、 中川の灘源事業等により水量を失い、 やせていったものと考えられています。 近代に至っては、 雑排水路として利用されてきました。
 現在は下水道の整備によって、排水路としての使命を終え、荒川と中川を結ぶプロムナードとして期待されています。
 また、古隅田川は古来、 下総国武蔵国の境界であるとともに、人と人との出会いの場でもありました。
 そこで、古隅田川に水と緑の景観を再生するため、「出会いの川、古隅田川」 をテーマに、 失われた生物を呼び戻し、 潤いのある人と人との交流と安らぎの場を創出したものです。

<位置>
 当施設は中川から綾瀬川、 そして荒川を結ぶ範囲の足立区と葛飾区の区境にほぼ重なっており、古隅田川は中川と綾瀬川を結び、裏門服は荒川と綾瀬川を結んでいます。
 また、古隅田川に隣接して5つ公園があり、河添公園、下河原公園は足立区に、袋橋公園、 白鷺公園、 小菅万葉公園は葛飾区に位置しています。

<延長>
隅田川 約 5,450m
裏門堰  約 1,100m


水車

少し進むと水車があった。



特に説明版などは見当たらなかった。








続く。