「高砂踏切」で新金貨物線の東側に出る。
「角柱三猿浮彫道標」後は南下し、「小松川街道踏切」を渡ってまた新金貨物線の西側へ出る。
◆高砂踏切
新金貨物線。
◆米倉秋造殉職之地
よく見ると三人のお名前が。
高田日出夫、米倉亜紀造、高橋利雄
WEBで調べても何も出てこなかった・・・・。
google mapには載っていなかった。
現在地を示すマークのところが上の写真のところあたり。
元禄6年(1693)銘の、現在確認されている中では区内でもっとも古い道標です。高さ95.5cm、幅34cm、奥行23cmの角柱形で伊豆石製と推定されます。
道標上部の正面と左右側面には、三猿と推定される浮彫が施されていますが、かなり磨耗しています。中央部正面に「これより右ハ 下河原村 左 さくら海道」、右側面に「これより左 下之割への道」、左側面に「元禄六癸酉年六月吉日」、下部には建立者の名が彫られています。
「下河原」は、新宿町の小字の名称で、この道標が建てられた辺りを指します。「下之割」は東葛西領の南側の地域(現、江戸川区)のことで、北側の地域(現、葛飾区)は「上之割」といいます。
さくら海道とは佐倉道のことで、千住宿で奥州街道と分岐し新宿町までは、水戸道と合わせて「水戸佐倉道」と称されます。新宿町で常陸国水戸へ向かう水戸道と分岐して下総国佐倉へ向かっていました。
◆高砂六丁目第一区民農園
◆小松川街道踏切
新金貨物線。
続く。