2021/09/14 葛飾青戸散歩 07 宝持院//青戸歩道橋/青砥陸橋中川大橋/延命寺/二十一仏庚申塔/亀有ポンプ所

前の日記のエリアからさらに南東へ進む。
青戸歩道橋で水戸街道を渡る。
青砥陸橋をくぐって環七を渡る。




◆宝持院


六地蔵


松浦河內守信正墓碑



 松浦氏は数代つづいた旧下小合村の領まで、信正は寛延元年(1748) 長崎奉行に任ぜられた幕府の要人です。
 この墓碑は、信正が旧下小合村にあった普提寺の竜蔵寺に、生前自ら建てさせたものですが、明治2年(1869) に同寺が廃寺となり、その後、母の長松院殿の墓塔などとともに本寺
に移されたものです。
 水元桜堤(葛飾東金町五丁目五番先)に現存する梵鐘(区指定有形文化財) も、信正が竜蔵寺に奇進したものです。
 葛飾の地にゆかりの深い江戸幕府要人の墓碑で、鄉土史上貴重な文化財です。


山門










◆青戸歩道橋

下は水戸街道




向こうに見えるのが下記の「青砥陸橋」










◆青砥陸橋

上は環七。
こちらをくぐって道路の東側へ。











◆中川大橋

下は中川。
今回は渡らなかった。











延命寺


石塔など


石塔など


山門










◆二十一仏庚申塔



 60日に一度めぐってくる庚申の日に健康長寿を願って夜明かしをすることを守庚申、庚申待といい、室町時代以後各地 にこの庚申信仰が広まり庚申講が組織されました。庚申塔は供養·記念のために建てられました。
 この塔には山王二十一社の本地仏の種子(しゅじ)(梵字) と三尸(人の体内にあって短命にする虫)の文字を刻み、蓮華・沢瀉(おもだか)の葉を描いています。この庚申塔は中
世のニ十一仏板碑から、近世の庚申塔にうつる頃の貴重なものです。
高さ189cm 幅70 cm 塔身高154 cm
造立年代 承応4年(1655)


「沢瀉」を調べた。
オモダカ - Wikipedia










◆亀有ポンプ所











続く。