2021/09/14 葛飾青戸散歩 10 健康プラザかつしか/青戸第二団地/NTT亀有ビル/都営白鳥三丁目アパート/曳舟十二番橋/曳舟川親水公園/葛飾区郷土と天文の博物館

どんどん西へ進みまた水戸街道を渡る。
そのあともどんどん西へ進む。




◆健康プラザかつしか

葛飾区のHPがあったがどんな移設なのか載ってない。
施設案内 保健施設|葛飾区公式サイト










◆青戸第二団地











◆NTT亀有ビル

もう使われていないようだね。











◆都営白鳥三丁目アパート











曳舟十二番橋

以前来たことがある。
2021/09/06 亀有散歩 05 曳舟川親水公園/曳舟十二橋/葛飾区白鳥児童館・憩い交流館/上千葉砂原公園/三峯神社/砂原稲荷神社/稲荷公園 - ovanの社会科見学



 前に記せし掘割の その長きを二里に余り 末流新宿(にいじゅく)の川に入る道(とおり) そを過るの 旅客舟に 乗て往還すれと
 元来幅の狭きに よりてその舟に 縄をかけ陸に 在てそれを引く 因(よっ)て引船通り と唱ふ水竿を 操り櫓を 出すより またその客ハ 風雅なり










曳舟川親水公園




鷹狩と葛西



 鷹狩は鷹匠によって飼い馴らされた鷹を放ち、鶴・白鳥・雁などの獲物をとらえる古くから伝わる狩猟法です。慶長八年(1603)江戸に幕府を開いた徳川家康は、鷹狩を非常に好んで、各池に御殿や御茶屋を設けました。三代将軍家光の代には制度も整い、五代将軍綱吉の時は生類哀れみの令影響などもあって一時中断しましたが、八代将軍吉宗享保元年(1717)制度を復活させ幕末まで続きました。
 当句一帯は墨田・江東・江戸川区とともに葛西筋といわれ、河川や沼池・湿地が各所にあり野鳥が多く飛来するので将軍家の狩場となりました。しかしひとたび鷹狩が行われると、村々にはさまざまな人足役や諸品の納入などが課せられ、田畑の作物や生活の面でもいろいろな規制を受けて、農民にとっては大きな負担となっていました。
 かつて、この付近には白鳥の飛来した沼があり、鷹狩の場所のひとつで、白鳥という町名はこのことにちなんでいます。周辺にはお花茶屋など鷹場に関する地名や将軍の休憩所となった寺も残っています。













葛飾区郷土と天文の博物館

だいぶ前に来たことがある。
はてなに日記がない!
ので、mixi内を探したらあった。
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続く。