2021/10/26 西葛西散歩 09 北葛西八雲神社/第一三共葛西研究開発センター/稲荷神社/七軒町水神宮/やぐら橋/新川ポンプ所/船堀中公園

前の日記小島湯からも棒茅場(ぼうしば)通りを北上。
通りは北東へ進路を変えるがそのまま通りとその周辺を散策し新川へ。

この日の日記と少しかぶる。
2018/01/27 葛西散歩 05 櫓橋/船堀中公園/お稲荷さん/旧船堀村役場跡/新川の碑/新川ポンプ所/西水門橋 - ovanの社会科見学







◆北葛西八雲神社


楽殿


石塔など













第一三共西研究開発センター

住宅街にかなり目立つ大きなビルが建っていた。
中を見学したいけど、無理だろうなあ・・・・。


第一三共のHP
第一三共株式会社|イノベーションに情熱を。ひとに思いやりを。


第一三共西研究開発センターのページ
研究開発体制 - 研究開発戦略と取り組み - 研究開発 - 第一三共株式会社


第一三共株式会社(だいいちさんきょう)は、東京都中央区日本橋本町に本社を置く、日本の大手製薬会社である。日経平均株価およびTOPIX Core30、JPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ。』
『2005年9月28日に三共と第一製薬とが経営統合して発足した。』
第一三共 - Wikipedia


『三共は匿名合資会社三共商店として資本金3,000円で1899年3月1日に、塩原の本業だった横浜絹物会社の敷地内に設立された[1]。当初はアメリカでジアスターゼの大量抽出法を開発した高峰譲吉との間に、日本・中国・朝鮮における独占的な販売許諾を契約を結び、「タカヂアスターゼ」と命名して輸入販売した[2]。「三共」という名称は創業者である塩原又策と、塩原のかつての同僚であり高峰との交渉を担当した西村庄太郎、塩原の義弟である福井源次郎の三人が共同出資したことにちなむ。』
三共 (製薬会社) - Wikipedia


第一製薬の前身「アーセミン商会」は、慶松勝左衛門によって1915年に設立された。前年に始まった第一次世界大戦のため、海外からの医薬品の輸入が途絶えた。とりわけ深刻だったのは、梅毒の特効薬とされていた「サルバルサン」(Salvarsan, ドイツ・ヘキスト社商標・一般名)だった。サルバルサンはドイツの細菌学者パウル・エールリヒが、留学していた泰佐八郎の協力を得て開発した薬剤である』
第一製薬 - Wikipedia













◆稲荷神社













◆七軒町水神宮














◆やぐら橋

下は新川。















◆新川ポンプ所












◆船堀中公園



 船堀村の南を流れる川(現在の新川)は舟入堀と呼ばれ、やがて船堀川となったと伝えられています。
「慶弔十九年(1614)宇田川弥次右エ門初代、船堀村開発」と宇田川家の石碑に記述が残っています。宇田川、鈴木両氏が船堀開村時の草分けとの説もあり、この頃光明寺が開山され山王社(現日枝神社)が勧請されています。
 元禄の頃、現在の船堀中公園の西を流れていた水路(法然寺川)を境に西組と東組にわかれ、西組には稲荷社が鎮守として勧請され、西船堀の開発が進みました。
「新編武蔵風土記稿」(文政年間刊)には、「公へは船堀村とのみ書し東西の分ちなし、されど村内に西組、東組と分ちて自ら二村ノ如し」と記されています。
 明治二十二年(1889)の市政・町村制施行時に、西船堀村、東船堀村に現南船堀地区を合わせて船堀村としました。
 明治四十四年(1911)に着工した荒川、中川放水路の開削により、西船堀地区は約百四十町歩が買収され、約百十戸が移転し、稲荷神社も現船堀一丁目に遷宮されました。












続く。