2021/10/26 西葛西散歩 10 稲荷神社/新川の碑/擬宝珠橋/新川休養公園/宇喜田橋/大高酒店/稲荷社(江戸川区宇喜田町)

新川沿いを南東へ向かって散歩。




◆稲荷神社












◆新川の碑



 新川はかつて船堀川と呼ばれ、その川筋は旧江戸川から現在の古川親水公園を経て中川(旧中川)に通じていました。寛永六年(1629)に三角から新川口までが新たに開削されて、 全長約3kmにわたる今の新川が生まれました。
 この新川は、銚子や行徳から年貢米、味噌、醤油等を江戸に運ぶ重要な水運路として利用され、江戸中期には人の往来も増え、成田詣の人々を乗せた行徳船が行き交うようになりました。
 明治時代を迎え、通運丸などの長距離の定期蒸気船が就航し、さらに大正時代には小型の定期船である通船が地元の人々の足となりました。また、この頃の新川は白魚が群れをなし、子ども達は川を泳ぎ廻るなど生活と密着したものでした。しかし、江戸川や中川に橋が架けられ陸上交通が盛んになると輸送の主力は陸に移り、昭和十九年(1944)に通船が廃止され、輸送路としての役割を終えています。
 その後は、周辺の地盤沈下により堤防を高くしたため水面を眺めることができなくなるとともに、工業排水や生活排水が流れる川になってしまいました。そこで、昭和四十七年(1972)に新川が再び私たちの生活に身近かで安全な川となるよう整備計画をたてました。
 まず、昭和五十一年(1976)には東西の水門を閉鎖し、川の水位を周辺の土地より低く調整して安全性を向上させました。そして、旧江戸川から浄化用水を取り入れ中川に排水しています。
 一方、下水道計画では新川の中流域にポンプ所を建設する予定であったため、大雨のたびに汚水の混じった雨水が新川に流れ込みきれいな水質を保つことができない状況にありました。そこでこの計画を変更し、これらの雑排水を直接中川に放流できるよう第一製薬(株)用地を一部買収して現在の位置に新川ポンプ所を建設しました。その後、周辺地域の下水道施設完備により、新川はきれいな水が豊かに流れる一級河川にふさわしい親水空間として甦ることができました。
 平成五年(1993)からは念願であった堤防の撤去をはじめとする環境整備工事が始まりました。
 かつて舟運路として栄えた河川の姿から様々な歴史を経て今日ここに再びゆとりある親水河川として生まれ変わりました。












◆擬宝珠橋

下は新川。















◆新川休養公園











◆宇喜田橋

下は新川。















◆大高酒店

本店とあったので、チェーン店だと思ったのだが、どうやら違うようだね・・・・。











◆稲荷社(江戸川区宇喜田町)













続く。