2021/10/29 平井・亀戸散歩 08 亀第9号踏切道/亀第10号踏切道/小村井駅/亀第12号踏切道/東あずま公園/旧小村井村の庚申塔群/立花一丁目団地

東武亀戸線小村井駅のあとは細い路地を南へ住んで同じく東あずま駅西側エリアへ。





◆亀第9号踏切道

東武亀戸線の踏切。














◆亀第10号踏切道



すぐ脇に小村井駅がある。














◆小村井駅

東武亀戸線小村井駅。


近くにあった地図











◆亀第12号踏切道

東武亀戸線の踏切。














東あずま公園












◆旧小村井村の庚申塔



 このお堂は、帝釈堂と呼ばれています。中には古い石塔が三基あり、お堂の右側にも三猿を彫刻した石塔が置かれています。これらは全て公団住宅の建設を機に右手の通りに面した場所から移設されたものです。銘文はほぼ失われていますが中にはかすかに「奉庚申」の三文字が読み取れるものもあり、これらが庚申供養塔として建立されたものであることを推察させます。
 それぞれ建立年。建立者ともに不明ですが、享和元年(1801)の葛飾郡小村井村の絵図にはもとの所在地が「庚中塚」の名で載り、十八世紀以前の建立物を含む可能性があります。また、敷地の中に置
かれた文化九年(1812)銘の石燈龍の台石には庚申の二文字とともに小村井村の住人の名前が刻まれ、管理者の家に伝わる庚申講の祭把具(墨田区登録文化財)を収める箱にも同村住人の名前が墨書されています。これらのことから、ここに祀られた庚中塔群は、江戸時代の小村井村の人々が組織した庚申講によって建立されたものと推定されます。
 かつてこの付近に暮らした人々が何を祈念していたのかは分かりませんが、道教の三尸説に由来すると言われる庚中信仰がこの地に根をおろし後に帝釈堂の名がついたように、次第に帝釈天信仰と結びついていったことがうかがれます。
 これら庚中塔群をはじめとする石造物は、関東大震災の後、当地で植木屋を営んでいた野村徳次郎氏が管理を任され、その縁で今でも御子孫によって大切に管理されています。














◆立花一丁目団地











続く。