2021/11/05 竹橋散歩 竹橋/北の丸公園町名由来版/国立公文書館/日経ビル/東京銀行集会所跡/東京駅

24時間勤務+講習のあとに竹橋散歩。
竹橋から東京駅まで歩く。
メインの国立公文書館は次の日記で。




◆竹橋

手前の橋が竹橋。
下はお堀。
正面にパレスサイドビル











北の丸公園町名由来版



 江戸時代のはじめ、このあたりは関東総奉行内藤清成らの屋敷となり、代官町と呼ばれるようになりました。その後、三代将軍家光の弟、駿河府中藩主徳川忠長や春日局、家光の次男松平長松(のちの甲斐甲府藩主徳川綱重)などの屋敷となりました。
 さらに享保十六年(1731)に八代将軍吉宗の次男徳川宗武(御三卿田安家)、宝暦八年(1758)には九代将軍家重の次男徳川重好(御三卿清水家)がそれぞれ上屋敷を与えられています。 安政三年(1856)には、この絵図にも見られるように田安家清水家上屋敷のほかに御蔵地、植溜御用地、馬場などがありました。
 明治維新後、田安家·清水家の上屋敷は一時御用邸となり、その後は近衛歩兵営用地となりました。近衛歩兵営では明治十一年(1878)、日本初の兵士反乱事件「竹橋事件」が起きています。
 明治八年(1875)、ここは東代官町、西代官町となりました。そして明治十二年(1879)、二つの町が合併して新たに代官町と改称しました。
 第二次世界大戦後は、森林公園として整備が進められ、昭和四十二年(1967)、住居表示の実施により北の丸公園と改められました。名称はかつての江戸城北の丸にあたることに由来します。
公園は、昭和天皇の還暦を記念して昭和四十四年(1969)に開園し、園内には
 日本武道館科学技術館国立公文書館、 国立近代美術館などがあります。また石垣には国指定天然記念物のヒカリゴケ生育地もあり、都心のオアシスとして親しまれています。











国立公文書館

次の日記で。




◆日経ビル










東京銀行集会所跡



 東京銀行集会所は、 1916(大正5) 年に竣工した横河工務所設計によるイギリスのヴィクトリアン·カントリーハウスのイメージをもつネオルネッサンススタイルの建築 (地下1階地上3階、レンガ造)でした。 1993(平成5)年には、外壁と内装の一部を保存しつつ東京銀行協会ビルヂングとして建替えられました。 その際、 西面外観は一部に当初部材を再利用しながら再現され、 南面外観は西面と調和するデザインがなされていました。 今回の建替え(2020年竣工)においては、当初の東京銀行集会所の原位置を外構舗装に示すとともに、西面2階のバルコニー手摺に使われていた石材と東京銀行協会ビルヂングの濃示赤色タイルの一部を保存展示しました。











◆東京駅











公文書館、職場から近すぎて逆に遠くなった気がする(w
8時で仕事が終わるけど、オープンは10時からだから・・・・。
帰りに中野に寄り、地元でご飯を食べて帰る。




中野駅











◆高円寺ストリート



閉店は寂しすぎる・・・・。











◆伝説のすた丼屋



美味しかった♪











国立公文書館へ続く。