2021/11/14 東京健康ウォーク2021 01 笹塚駅/南大沢駅/富士見台公園/板橋/永林寺

健康ウォーク2021で南大沢駅南側エリアを友人と歩く。







笹塚駅



こちらで乗り換え。
あとはそのまま橋本行の電車で南大沢へ。












◆南大沢駅

健康ウォークスタートの南大沢駅













◆富士見台公園

ちょうどこの辺りが第一のチェックポイントだった。












◆板橋

下はなんの川なのかわからなかった。
この少し先で大栗川と合流する川だ。



ちゃんと写真を撮らなかったなあ。













◆永林寺

健康ウォークの第2チェックポイントだった。



永林寺は、大石源左衛門尉定久公の居館(由木城)であったものを、定久公が滝山城主として滝山城へ移るに至り、叔父である一種長純大和尚に譲り、天文元年(一五三二年)三月永麟寺として創建された。その後八王子城北条氏照公の助成を受けて天文十五年七堂が欄の完備された大寺院が完成された。
天正十五年後陽成天皇より勅願寺の綸旨を受け護国殿の勅願を受ける。天正十九年九月徳川家康公が当寺に巡拝された折り、朱印十石、公卿格式拾万石を授けられ、赤門の建立が許可された。又、永麟寺の麟の文字を林に変え、現在の永林寺の寺名となり今日に至っている。又、当地域に十ヵ寺の末寺を有する。格地本寺寺院である。
永林寺には、大石家丸に三つ星、北条家三つ鱗、天皇家菊、五三の桐、徳川家三つ葵等五つ紋を有しており、往事を偲ぶことが出来る。



天文十五年(1546年) 建立。文禄四年に野火により焼失。寛文九年(1669年)三月相州藤原三郎道典採柔により建立。
間口十一間、奥行き十問半木造入母屋造り銅板葺き。永林寺の中心となろ建物で、法堂ともいう。
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)様 を、ご本尊様にお祀りし、脇仏様樣に普賢菩薩様、文殊菩薩樣をお祀りする。
現本堂は、延享二年(1745年)四月に大改修されたもので向拝(安政四年、1857年小谷田忠五郎棟梁により再建)は本堂中央より左寄りに建築された、この地 万禅宗の特色の作りで、軒は唐破風付で上に十鳥破風を架している。
本堂内には、正面に勅額護国殿を掲げ、三二枚の杉户の襖には、狩野派相沢五流による荘厳な大画が描かれており、天井画には二一 〇枚の花鳥画が地元画家橋本豊治氏により描かれている。


三重塔



昭和五十五年 (1980年) 世田谷安田昭二棟梁により建立。 禅宗樣式三間三層総木曾桧造り銅板葺き。
日本唯一の鎌倉時代禅宗様式の国宝三重塔である、広島県生口島瀬戸田の向上寺の塔を模して建立された。
塔の高さは、20m、塔内には、聖観世音菩薩、文政六年(1823年)造佛を、ご本尊樣としてお祀りし、脇佛様として一七二体の小観世音菩陸樣をお祀りしてぃる。
武相観音四十一番札所、京王観音二十五番札所として信仰きれている。
本草樣聖観世音菩薩樣は、卯歲観音として、十二年に一度卵歲(四月一日より三十日迄)にご開帳きれる。


豊川殿



昭和十二年(1937年)半原小島市次楝梁により建立。平家建干鳥破風付銅板葺き。
本来は、此の地に衆寮(坐禪堂)があったが関東大震災により倒壊寸る。その後豊川殿を建立する。
永林寺山内守護神とLて昭和二年(1927年)愛知県の曹洞宗円福山妙崴寺豊川稲荷樣よ分重しお祀りしたものです。ご本尊樣は、茶枳尼真天様であり、稲を荷い白拡に跨った女神であります。
護法神である茶枳尼眞天は、その功德によ人々を済度し、災厄を転じて福徳を授けになります。
永林寺豊川稲の行事は、一月元旦祭、二月初午四月豊川稲荷大般若法要、十二月冬至祭、又、七五三祈祷、厄除け祈祷、安産祈祷、お宮参り等を行い、無病息災、商壳繁盛、家内安全、交通安全、身体健全等を祈願致Lております。
平成十一年八月十四日土砂災害により半壊し大改修され現在に至る。


三門



天文十五年 (1546年) 建立。文禄四年に野火により焼失。寛文九年(一六六九年)相州藤原貞通棟梁により、再建三間一戸総円柱二階二重門入母屋造り銅板葺き。
安永四年(1775年)十二月に解体大改修され、その後昭和四十年に大改修され現在に至る。
三門上には、十六羅漢木造を安置し、正面両側に仁王像を安置する。
三門とは、空門 (1切を空と観ずる) 無相門 (迷いの煩悩を離れ悟!を得る) 無願門(真実を悟り願求するところがない)三解脱門のことである。
この三解脱を得て本堂に向かう大切な門である。
仁王像(佛法、伽藍守護の金剛神 阿吽像)


鐘楼



総門



天文十五年(1546年) 建立。文禄四年に野火により統失。宝暦元年(1758年)に再建される。一間葉医門切り要造り銅板葺き。
公卿格式十万石を徳川家康公により与えられた永林寺は、朱塗りの門と壁の五条線が許され、これより、由木の赤門と呼ばれている。
総門は、文邀丁军(1828年)に八王子小町土佐源梁に出り大改修され、平成八年に世田谷安田昭二營榮に 方再大改修され現在に至る。
御仏の深き意みの法の道 全峰に響く鐘の音
この間よめ探ば仏様、ご先祖様方の住まわれる世界であります、清浄な身と心で参拝致しましょう。



中雀門(勅使門)



平成二十五年(2013年)建立(再建)
天正十五年(1587年)御陽成天皇より勅願寺院の綸旨を賜り、勅願寺と成りました。その折、建立許可された門で、勅使門、別名(公家の門)と呼ばれ格式のある門で、建立時は、向唐破風の門であった。文禄四年(一五九五年)野火に合い焼失する。
寬文九年(1669年)十一月再建される。(唐破風門 消失不明)天保十一年(1840年)四月再建される。大正十二年関東大震火にて倒壊し、再建。昭和四十一年九月、台風にて倒壊する。
昭和四十二年橫浜東漸寺の山門を移築。(脇門にて現存)|中雀とは、南に向かって中庭に建てられている門で、永林寺では、本堂に向かう最後の門である。
平成二十五年四月 御開山一種長純大和尚樣四百五十回大遠忌法要を厳修させて戴さました。この報恩記念事業として、中雀門再興(建立当時の向唐破風門)を計画致し、大本山總持寺勅使門を基とLて、翠雲堂に設計建築をお願いし、平成二十三年より着工致L、平成二十四年完成、平成二十五年落慶法要、再興致しました。
向唐破風の門を再興出来まLた事、大变感謝致し、謹んで御礼申し上げます。


史跡 平山城



『武蔵七党の一族である平山氏の居城(平山城)があった場所。』
平山城址公園 - Wikipedia



大石定久公銅像

『大石 定久(おおいし さだひさ)は、戦国時代の武将。山内上杉家後北条氏の家臣。武蔵国守護代滝山城主。 』
大石定久 - Wikipedia


山門


参道












続く。