2021/11/15 高円寺散歩 03 桃園川緑道入り口/「つれなかった日」/中島橋跡/西山谷小橋/西山谷橋/西山谷上橋

今度は少し南へ移動。
桃園川緑道を西へ。
このページはずっと桃園川緑道。




◆桃園川緑道入り口

環七から高円寺・阿佐ヶ谷方向に向かう入り口。



 『桃園川緑道』は元来、天沼の弁天池(天沼三丁目地内)を水源として東流し、末広橋(中野区内)で神田川に合流する『桃園川』と呼ばれた小河川でした。
 『桃園川』の名は江戸時代初期に付近の『高円寺』境内に桃の樹が多かったことから将軍より地名を『桃園』とするよう沙汰があったことに由来しています。(その後、桃園は中野に移されています。)
 江戸時代中期には『千川上水』から分水したり『善福寺川』から『新堀用水』を開削し、導水するなどして、『桃園川』沿いの新田開発が、進められました。
 大正末期には、この付近も関東大震災を契機とした都市化の波を受け、川沿いの地区は耕地整理が行われ数条に分岐していた『桃園川』も流路が整えられ、それに伴い水田風景も姿を消しました。
 その後、『桃園川』は宅地化の進む中で大雨の度に氾濫を繰返し、川沿いの地区に被害をもたらしましたが、昭和42年、東京都下水道局により桃園川幹線として暗渠化され、以降、水害も治まり河川としての使命を終えました。
 杉並区では、昭和44年、この地上部分を中野区境から中央線までの区間、整備し、『区立桃園川公園』として開園しました。その後、施設の老朽化に伴い、平成元年より五ヵ年をかけ再整備を行い、緑と花のプロムナード『桃園川緑道』として新しく生まれ変わりました。














◆「つれなかった日」



赤川政由 作














◆中島橋跡

















◆西山谷小橋
















◆西山谷橋





近くにあった像














◆西山谷上橋





近くにあった像














続く。