2021/11/17 神田散歩 01 竹橋/一ツ橋門石垣跡/一ツ橋邸跡/一ツ橋/錦橋/気象庁旧生物季節観測の木々

24時間勤務アケで竹橋からJR御茶ノ水駅まで散歩。
後編はJR亀戸駅から押上駅経由で錦糸町駅まで散歩。







最初に首都高速都心環状線沿いに東へ向かって歩く。




◆竹橋

スタートの職場(パレスサイドビル















◆一ツ橋門石垣跡


一橋門跡

 一橋門は、徳川家が江戸城に入ったころにはすでに架けられており、大きな丸木が一本架けられただけの橋であったことから、この名がつけられたと言われています。 17世紀中頃には、付近に松平伊豆守の屋敷があったので、伊豆殿橋と呼ばれたこともありました。なお清水家、田安家と並んで徳川御三卿と称された一橋德川家の屋敷は1740年(元文5年)から、門内にありました。
 この門の石垣は、1629年(寬永6年)に築造、1873年(明治6年)に撒去されており、現在では川岸にわずかな高石垣だけが残っています。 現在の橋は、 1925年(大正14年)に架けられた関東大震災の復興橋梁の一つで、都内に造られた12のラーメン橋台橋の内、唯一当時の姿を今に残すものです。















◆一ツ橋邸跡

一橋徳川家屋敷跡ー埋藏文化財発掘調查ー
 本調査地点は、一橋徳川家屋敷跡として知られています。 また、 一橋徳川家が当地を拝領する以前は、 松平伊豆守、 戸田山城守など老中職の大名の屋敷地がありました。平成29年に実施された発掘調査では、 18世紀中頃から幕末まで当地にあった一橋徳川家屋敷地の石組満をはじめとして、 17世紀代に造られた護岸石垣を伴う池跡、 石垣で画された堀状の遺構などが発見されており、 最も古い時期の生活面では16世紀以前に遡る梱作の痕跡も検出されています。 遺物は、 近世の陶磁器や瓦などが出土しており、 これらは17世紀から18世紀初め頃のものが多くを占めています。 また、 近代において当地が近衛騎兵連隊の兵舎として用いられた影響か、 遺跡の上層部の遺構からは蹄鉄が多数出土しています。 一橋徳川家屋敷地の石組満は複数検出されており、 敷地内の排水のために設けられていたと推察されます。検出石組満満はそのうちのひとつで、 溝の幅は約20cm、 深さは約30cmあり、 側壁には間知石などが用いられています。

 調査地点の北西部で検出された池跡は、 一橋徳川家が成立する前の17世紀代に造られたもので、 南岸は護岸石垣、 北岸は水際まで州浜が造られており、 南北の幅は約15m、 東側と西側は調査区域外へ続いていました。南岸の護岸石垣は池底から1.6mの高さがあり、池底は全体が三和土で固めた平坦面になっていて 「魚溜り」 とみられる窪みも設けられています。また、池跡の南側では、 水源であった可能性がある上水遺構も同時に検出されています。 ここでは、 護岸石垣を検出された平面位置のまま約3m持ち上げ、 池跡を枯山水として再現しています。



以前来たことがあるが、ビル工事中のため、史跡を直接見ることができなかった。
一橋徳川屋敷跡となっていた。
2017/08/27 01 大手町散歩 03 和気清麻呂公銅像/震災いちょう/不二ラテックス/一橋徳川屋敷跡/一ツ橋/錦橋 - ovanの社会科見学














◆一ツ橋

上は首都高速都心環状線
下は日本橋川

















◆錦橋

上は首都高速都心環状線
下は日本橋川

















気象庁旧生物季節観測の木々

2020年11月に虎ノ門へ引っ越す前、気象庁はこのすぐ近くにあった。
















続く。