2021/11/17 神田散歩 02 大手町川端緑道/出羽庄内藩/神田橋/神田橋門跡/古田円三君像/豊展観守像

神田橋を渡った後は本郷通りを北上。






◆大手町川端緑道











◆出羽庄内藩




写真はこの地図の「現在地」とかかれているところから撮った。
肝心の部分が隠れちゃってて読めないね(w
上屋敷があったということでよろしいでしょうか?










◆神田橋

上は首都高速都心環状線
下は日本橋川













◆神田橋門跡

 ここは、芝崎口門,神田口門.大炊殿橋門とも呼ばれ、将軍が上野寛永寺に参詣に行くための御成道となるため、門の警備は厳重でした。門は、1629年(寛永6年)に下野真岡藩(現在の栃木県) 藩主稲葉正勝によって構築されました。対岸の鎌倉河岸は江戸城築城の資材を荷揚げする河岸場だったので、この門の役割は重要でした。
 1873年(明治6年) に櫓門が撒去され、1884年(明治17年) に木橋が架け直されました。道路の拡張と市電の開通に伴い改修され、関東大震災で焼け落ちた後に新たに架橋されました。現在の橋は1980年(昭和55年)に改架されたもので、木橋風の意匠に、灯籠風の親柱、石造風の高欄を組み合わせています。











◆古田円三君像

大正十二年関東大震災の直後、氏は選ばれて帝都復興院土木局長に任ぜられ、復興事業の根幹で然も極めて難事業であった区画整理およびこれに基づく土木工事の計画遂行に直面して、献身的努力をなすこと二年余、事業の基礎漸く(ようやく)成った大正十五年春、新進疲労の極事業の犠牲として、惜しくもその生命を絶ったのであります。
昭和六年復興事業の完成に當り先輩知友相寄り、氏の功績を偲び記念としてこの彫像を、深川相生橋畔の中島公園に建立したのでありますが、太平洋戦争の災禍により損傷せられましたので、昭和三十年春それを修復の上、この地に移設したのであります。


 










◆豊展観守像




 この彫刻は、活気とやすらぎ・教育と文化の町として知られる千代田区に住む人々の豊かさと発展する町を観守する姿を、こがね虫と人間の擬人化により、造形表現をして製作されたものであり「彫刻のある町・千代田区」として潤いと個性のある歴史と文化を重視した新しいまちづくりを願う久保金司氏より、神田の魅力を記録した写真集、神田っ子の昭和史「粋と絆」の浄財をもとに本区に寄贈されたものです。











続く。