2021/11/17 亀戸散歩 06 押上駅前自転車駐車場屋上広場/土地区画整理事業記念碑/京成橋/墨田区しなり公園/さくら湯/業四市場商栄会/押上よしかつ

押上駅少し北にある自転車駐車場屋上広場へ行った北十間川沿いを散歩。




押上駅前自転車駐車場 屋上広場

屋上が公園として整備されている。













◆押上・業平橋駅周辺土地区画整理事業記念碑


押上・業平橋駅周辺地区の歴史

 当地区では、1902(明治35)年に東武鉄道吾妻橋駅 (現 とうきょうスカイツリー駅) が開業し、昭和初期に現在の浅草駅が開業するまで「人と物資の輸送ターミナル」 としての役割を果たしていた。当時、地区内には船渠 (ドック)が整備され、鉄道貨物輸送と北十間川を利用した舟運の結節点として、人や物のみならず多くの文化や情報が往来した。 また、1912(大正元)年には、京成電鉄押上駅が開業し、交通結節点を形成していた。
 その後、押上一丁目では戦災復興土地区画整理事業が実施され現在の市街地の骨格が形成された。
 1949(昭和24)年、 磐城コンクリート工業㈱業平橋工場 (現東京エスオーシー(株) が操業し、生コンクリート工場発祥の地となった。 1953(昭和28)年には日立コンクリート(㈱押上工場も操業開始し、この地は、 戦後復興期·高度経済成長期を支える産業の拠点となるとともに、押上通り商店街も大いに賑わった。
 1947(昭和22)年当地区航空写真当地区はこのように発展をしてきたが、トラック輸送の急成長など時代の流れにより鉄道貨物輸送は減少し、1993(平成5)年には約100年におよぶ鉄道貨物ヤードの歴史に幕を閉
じ、大規模な低未利用地として再開発が待たれていた。
 2003(平成15)年の半蔵門線の押上までの延伸および東武伊勢崎線との相互直通運転開始を契機とし、まちづくりの機運が高まる中、 2005(平成17)年12月には地権者による押上。
業平橋駅周辺土地区画整理組合が設立され、 都市計画事業としての土地区画整理事業がス
タートした。
 同事業は、国および東京都からの支援を受けるとともに、 地権者の協力により建物移転等が順調に進められ、2012(平成24)年3月に道路、駅前広場、 公園の基盤整備を完了した。 ここに地権者の労をねぎらい、竣工を記念し記念碑を建立する。












◆京成橋

下は北十間川














墨田区しなり公園












◆さくら湯

銭湯♪












◆業四市場商栄会

商店街♪












◆押上よしかつ

テレビで紹介されていたのをチェックしてたので写真を撮ってみた。












続く。