2021/11/18 高円寺散歩 02 長龍寺/浄雲寺/梅里歩道橋/セシオン杉並/杉十前歩道橋/蓮光寺/大学生協会館

まだまだ高円寺南側エリアを散歩委。





◆長龍寺



 長龍寺は富聚山と号する曹洞宗の寺で、本尊は釈迦如来坐像です。
 寺伝によれば文禄二年(1593)に心岩舜応和尚が麹町四番町(現千代田区四番町)に開創したと言われます。元和二年(1616)に寺地が御用地となり、市ヶ谷左内坂(現新宿区市谷左內町)に境内地を拝領して移転しています。明治四十二年(1909)、市ヶ谷の陸軍士官学校の拡張に伴い、この地に移転しました。宝暦六年(1756)建造の本堂、元文二年(1737) 建立の山門は、この時に移築Lたもので、古い建造物の面影をよく伝えています。
 寺伝によると、元は「長隆寺」という寺名でしたが、開山した玄室宗頓和尚が本寺である雲松院境内の池に住む竜に偈を授け、小蛇と化したところを捕えて当寺の寺宝とさせたことにちなみ、長隆寺の「隆」を「龍」に改めたと伝えられています。
 江戸時代の長龍寺は、開基である幕府御使番河野氏をはじめ、油川武田家を主体とした旧武田家臣团ならびに徳川の名門松平十四家である滝脇松平家(世良田家)、朱鎗の名家長坂血鎗九郎家、応仁の乱の西軍の将として有名な「山名宗全」を生み出Lた山名家の本家、その他旗本・名家七十六家の菩提所で、代々の住職は朝廷より勅賜号を賜わるなど、寺運は隆盛をきわめました。
 境内の地蔵堂には、山之手二十八番地蔵の第十一札所として著名な、宝永五年(1708) 造立の豆腐地藏尊が安置されています。



 本像は、江戶時代の宝永五 (1708) 年に造立された等身大の石仏です。像容は端正で、容貌も整って尊願を表し、衣紋などの彫刻も丁寧で流麗に仕上げられています。本像の右耳は欠失していますが、当寺の『長龍寺縁起』にその由来が記されています。由来によると、元文年間(1736~41)の頃、小僧に化けた地蔵が豆腐を買いに行ったが、木の葉の銭を使用したため怪しまれ斬られたというもので、そのことから本像は豆腐地蔵と俗称されています。


地蔵堂


六地蔵


山門


参道入口
















◆浄雲寺















◆梅里歩道橋

下は環七と青梅街道の交差点。





向こう側に見えるのが環七。
















◆セシオン杉並




杉並区立杉並第十小学校 跡地記念岩石園

 この岩石園は、本校開校三十周年を記念して、同窓会が寄贈した岩石園の岩石を用いています。
 今日、本校移転跡地に建設された社会教育センター及び、高円寺地域区民センターの完成を期して再現されたものです。
 これは、昭和11年10月25日、、東京市杉並第十尋常小学校が当地に皿々の声をあげてから、昭和61年3月31日までの、49年間に亘る歴史と地域の方々のご労苦を、後世に伝えたいという思いをこめたものです。
 空襲による校舎の全焼、 環七建設のため校地削減、さらに環七公害による学校移転運動等の中で、本校の巣立 った児童5, 307名の思いのこもった、 この岩石園が、 ここを利用される皆様にいつまでも愛されることを、切に願っております。
















◆杉十前歩道橋

下は環七。


















蓮光寺



 当寺は、頂光山と号する日蓮宗の寺院で、本尊は十界諸尊です。
「文政寺社書上」によれば開創は、文禄3年(1584)、両国矢ノ倉(現中央区日本橋)で、開基は、源受院日宝と言われています。
 正保元年(1644)には、浅草新寺町(現台東区元浅草)に、境内地を拝領して移転し、境内には円理院・受教院・専玄房・了寿房などがあり、寺運の隆盛があったと伝えられますが、文化3年(1806)に、火災により焼失したので、詳細なことは明らかではありません。
 大正4年7月に、浅草の区画整理のため現在地に移転しました。
 当寺で有名な「開運大黒天」は、浅草新寺町時代の地名の俗称に因んで、通称「土富店の大黒天」とも言われ、江戸庶民の信仰をあつめました。この「大黒天」は、当初、日蓮上人が母妙蓮尼の病気平癒を祈願して彫ったものと伝えられております。また、開基日宝が、小湊巡錫の折に、庄屋の娘の難産に会い、祈願して助けました。その際に、床柱が光を発しこの家に伝来、不明となっていた「大黒天」が再び発見され、これをもらい受けて江戸に持ちかえり、蓮光寺建立の際、奉安したものと伝えられます。
 本寺は、江戸時代旗本寺としても、栄えました。なお昭和50年記念碑としてネタジ・スバス・チャンドラボースの碑が建立されています。

「?」

何かのお堂かな?


開運大黒天



文永元年申子八月 日蓮上人御歳四十三
御誕生地安房小湊に御生母妙連天御教養に参られし折 御母君の御懇請により 庭の松の木にて御作りになり妙連尼の護持仏として授け給いし霊像であります。


山門















大学生協会館
















続く。