本物はかなり傷んでいるので模型を確認しながらのほうが良いね。
展示機の操縦装置。2つある「8 の字」状の転輪(コントロールホイール)を
左右に回転させて補助翼 を操作し、機体を左右に傾け
前後に動かして昇降舵を操作し、機首を上下させ
機首を左右に振るには、ペダルの左右の踏み分けで方向舵を操作する。
補助翼。展示機は補助翼を覆う羽布が失われていることで、フレームがむき出しの状態を観察できる。補助翼前方には操縦系統と繋がる動作機構が見えている。
主翼接合部/タンク
下は展示機の主翼結合部で、左が胴体側、右がす翼側(上の附図での○の部分)。 用いられている材質は一般的に強朝鋼といわれるもので、 クロムモリブデン編, 右写真に見える|ボルトが、主翼側の金具とかみ合わさった金具を貨通するテーパーボルトで、 こちらはクロム鋼。
※写真がこれ以上良いのがなかった・・・。
このタンクには銘板が付いており、昭和17年9月15日製|造と分かる.製造番りは12946 (左タンタ)」となっており、機体の製造番习と製造年 (5541 号機、昭和17年121)とは異なている.そのとに加えてい軍の検印もある|とから、燃料タンクは降軍の単独納人品だった可能性が|あるが、他機と共用とも考えにく<詳細は製めなかった。
一式双発高等練習機の翠型について
一式双発高等練習機の翼型について『キ五十四取扱参考』 (立川飛行機株式会社、 昭和18年1月)から、一式双発高等練習機の主翼の翼型は次の NACA の 5桁シリーズ翼と呼ばれる種類であることが分かる。どのような翼型だろう。
胴体中心 NACA 23016
翼端 NACA 23009
1. 歴史
米国 NACA(米国 NASA の前身)は 1920年代後半~1930 年代にかけて大系だった翼型を開発した。 輸送機や戦闘機といった飛行機の目的に合致した翼型を予めカタログ化しておき、設計時に選べるようにしておくためである。 そして、その翼型を表すための数値指定方式
を考案した。1933年に発表された4桁シリーズ翼(NACA4-digit series)がそれで、4桁の各数値はその翼型の幾何学特性を表すものになっていた。
続いて 1935年以降に発表されたものが5桁シリーズ翼 (NACA 5-digit series) で、本シリーズも5桁の数字が翼型の幾何学特性を表している。
2. 5桁シリーズ翼の形状
一式双発高等練習機の NACA 230xx は、
・2 理想迎角における理論上の最適揚力係数 (%30.15×2-0.3、但し CLではない)
・3 翼弦の 15% (=0.05×3) で最大キャンバー
・0 キャンバーが単純 (反射しない、 折れ曲がらない)
を意味し、最後の2桁が翼厚を表す。 23016 は翼弦長の 16%、 23009は翼弦長の9% (23016 より薄い)となる。
5桁シリーズ翼は4桁シリーズ翼に比べて最大キャンバー位置を前方に配置しており、 揚力係数大 抗力係数小である一方、 失速が急激に起こるとされている。
次図が、その翼型である。
3.5桁シリーズ翼を用いた立川川飛行機製の機体
立川飛行機では、 九五式三型練習機 (1935年8月、1号機完成)には4桁シリーズ翼である NACA 2412 を用いたが、1937年8月に完成した一人乗りの小型機 TS1 (立川スポーツ 1) には NACA 23012 を使った。新しい翼型に、 期待があったのだろう。
残念ながら TS1 は実用化できなかったが、その知見とノウハウは蓄積されたはずで、九八式直協機(1938年4月、1号機完成)で5桁シリーズ翼を用いている。 翼型に関する知見とノウハウは製造会社の重要な財産であり、重大な問題が生じない限り簡単に変えるものではない。
また、昭和14(1939)年から立川飛行機でライセンス生産した米国ロッキード社のL14という旅客輸送機も NACA5桁シリーズ翼を用いていた。次表に、 知り得た5桁シリーズ翼を用いた機種を示す。
◆垂直尾翼
移送のための胴体から外された垂直尾翼。飛行第三八戦隊の部隊標識 (三と八をうまく組み合わせている)がよく見てとれる。巣直安定板先端の黄色く塗装されている部分には、無線アンテナを張る為のリングも残っている。
が、ここでは安定板や方向舵の構造に注目したい。『キ五十四取扱参考』からは「対象翼斯面、付け根で翼弦長の8%、2本桁」と分かるが、胴体との結合部分は胴体から外されていなければ絶対に見ることができない部分である。
◆水平尾翼/尾部
こちらも移送のために胴体から外されている水平尾翼。『キ五十四取扱参考』にあるように、本機の水平尾翼は左右一体の一翼型で、「付け根で翼弦長の10%、2本桁」である。本機の昇降舵も左右一体で、胴体に隠れる部分に操縦索と繋がる横標やバランス錘がある(下写真)。
尾部1
こちらは、水平尾翼を収納する胴体尾部部分で、左右一体型の水平尾翼を格納するため胴体が切り抜かれている。
機体後端で尾翼という荷重が掛かる部分がこんな空洞なのには驚かされるが、水平尾翼と垂直首翼が組み合わされることで、強固な構造となる。本機は水平尾翼、 垂直尾翼とも胴体にボルト留めなのだが、展示機ではその結合箇所は分かりにくい。
尾部2
こちらは胴体の尾部端に装着される「尾端覆」(カバー)。プレス成型された数枚の外板を小骨と縦通材、リベット付けで組みあげたと思われ、外板の微妙なカーブ具合を実感していただきたい。その先端に「尾灯」も見えているが、その「保護覆」は失われている。
製造 中島飛行機
タイプ 空冷複列星型14気筒
ボア 130mm
ストローク 150mm
総排気量 27.86L
圧縮比 6.7
燃料供給方式 キャブレター式(87オクタンガソリン)
過給機 遠心式スーパーチャージャー1段1速
離昇馬力 990 hp/2,700 rpm
公称馬力 970 hp/2,600 rpm (高度3,400m)
同乗室内部
附図で見えている空気導管 (今風に言えばエアコンダクト)は展示機では外されて別に展示されている。なお、展示機には内装材も残っていることも分かる。
通路扉
実際に見ると「小さすぎる」という印象が強烈な、胴体と機首操縦席を結ぶ通路ドア。下部がややすぼまっており、上部も十分な広さとは言えず、 背の高い人はもちろん通常体型の人でもスムーズに通れなかっただろうと推測される。体を横にして出入りしていたのだろうが、冬用飛行服を着たらつっかえる人が少なくなくなかっただろう。失われているが、 ここには木製扉が付く。
附図第2「外板厚 胴体」と展示機。鮮やかに残る日章(日の丸)が描かれている胴体外板の薄さを実感していただきたい。日章の辺りは、 厚さ 0.5~0.7mm の高力アルミウム合金板、いわゆる 「超ジュラルミン」が使用されている。
在りし日の旧陸軍一式双発高等練習機
一式双発高等練習機(キ-54:全幅 18m, 全長12m, 全高 5m)
昭和16年から生産された陸軍最初の本格的な双発高等練習機操縱訓川練の他に航法、通信、射撃などの訓練に使用された。また本機は立川飛行機で設計された最初の双発であることもよく知られている。 (写真は陸軍航空通信学校《水戸>の所属機で甲型)(横に立っている人で、 その大きさが分かります。)
旧陸軍一式双発高等練習機と搭乗員
一式双発高等練習機甲型
本機には甲型、 乙型、西型があり、 甲型は5~9人乗りの機上作業練習機で胴体の上に天測窓を設けて、 もっぱら爆撃機の乗員の操細、 航法練習用に使用された。また、 航空士や爆撃手もまとめて訓練するほか、 重爆撃機の一機のチームをいっしょにのせて訓練もできた。
旧陸軍一式双発 高等練習機 (川キ-54) の在りし日の姿
一式双発高等練習機 (立川キー54) は、 通称 「双高練」 ともいわれ、 操縦、 射撃、 爆撃、 通信などの多様な訓練に対応するため、陸軍が1939年に航空機メーカーの立川飛行機に試作を指示し、 2年後に正式に採用された。 終戦直前まで1342 機が生産されたが、 国内ではこの引き揚げ機のみが現存する機体となった。この立川キー54は立川飛行機で設計された最初の双発機であり、傑作機との高い評価を得ている。写真機は、尾翼の「J」 と胴体の「J-RN」 のマークから通信省の所属機といわれている。
訓練装備を取り外して、 旅客機とした一式双発高等練習機 (立川キー54) の民間型で、立川Y-39 輪送機の名称が与えられていた。
湖底の陸軍機発見される
ウィンディーネットワーク提供画像
平成22年7月13 日、東京大学生産技術研究所と、計測技術開発会社の㈱ウィンディーネットワークが、合同で十和田湖地底を調査行った。
調査の際、ソナーに飛行機らしいものが写り、 水中カメラで撮影された機体。
部隊標識や、日の丸もあざやかだ。
平成20年5月目撃証言で特定した十和田湖の墜落現場
立川飛行機は「R-HM型軽飛行機」の一般公開の際にも訪れている。
日記はコチラ↓
ovanrei.hatenablog.com
かなり時間をかけてチェックしましたが、間違いなどあると思います。
どんどんご指摘ください。
(o*。_。)oペコッ
続く。