2022/01/07 番町散歩 02 千代田区歌碑/サトウ公使植桜の地/イギリス大使館/アーネストサトウ碑/海嶽楼跡/TOKYO FM/千鳥ヶ淵公園

北の丸公園から千鳥ヶ淵へ。




千代田区歌碑

以前来たことがある。
2018/01/11 麹町散歩 02 袖摺坂/滝廉太郎宅跡/千代田区歌の碑/サトウ公使植桜の地/イギリス大使館 - ovanの社会科見学

1.並ぶ官庁 広場 濠
帝(みかど)の宮居(みやい)とりめぐり
わが千代田区に誉あり
大東京の中心地
江戸の名残も風情にて
ここを都の都ぞと
澄めり千代田の城の月

2.オフィスセンタア テレビ塔
世界の文化ひしめきて
わが千代田区に栄あり
新日本の心臓部
国の要(かなめ)と他(ひと)も見む
ここを都の都ぞと
住めり千代田の区民われ











◆サトウ公使植桜の地

以前この辺りに来たのだが、あったかなあ?



 アーネスト ·サトウ (1843~1929) はイギリス出身の外交官です。 幕末に通訳官・書記官として来日し、流暢な日本語を生かして討幕派だけでなく佐慕派とも広い交友関係を作りました。明治維新後、1870年 (明治3年) に東京のイギリス公使館に赴任し、その後、バンコクやモロッコなどで公使を務め、1895年から1900年(明治28年~33年) には日本公使に任じられました。
 1898年、サトウは英国公使館(現在の英国大使館)前の空地に桜の木を植え、東京府に寄付しました。のちに、それが見事な桜並木となり多くの人々に親しまれました。
 サトウの植えた桜は戦災等で枯れてしまいましたが、戦後再び付近に桜の木が植えられ、新たな桜の名所となっています。











イギリス大使館

2度来たことがある。

2017/05/30 竹橋・市ヶ谷散歩 01 東京学生会館/北白河の宮能久親王銅像/東京国立近代美術館 工藝館/千鳥ヶ淵砲台跡/イギリス大使館/MXTVとTOKYOFM - ovanの社会科見学

2018/01/11 麹町散歩 02 袖摺坂/滝廉太郎宅跡/千代田区歌の碑/サトウ公使植桜の地/イギリス大使館 - ovanの社会科見学











◆アーネストサトウ碑



1898年、当時の英国公使 サー·・アーネスト ・サトウが、この地に初めて桜を植えました。 植樹100周年を記念して、 1998年春、 ここに駐日英国大使館は新たに桜を植え、日英両国の友好の証とします。
この記念碑は紀宮清子内親王殿下にようて除幕されました。










◆海嶽楼跡



 1865年(慶応元年)、慕末の儒学者安井息軒は半蔵門外の旗本伊庭家の屋敦に居を構え、西に富嶽(富士山)を望み、東に金杉の海が見える所から、海横楼と名付けました。
 息軒は日向飫肥藩(おびはん)(現在の宮崎県)の藤士の子として生まれ、1819年(文政2年)に大坂に出て儒学者篠崎小竹(しょうちく)の弟子となりました。1824年(文政7年)江戸に出て昌平坂学問所に入り、儒学者の松崎慊堂(まつざきこうどう)に師事し ます。1839年(天保10年)、袋二番町(現在の千代田区一番町)に三計塾を開き、次世代を担う優れた人材を数多く輩出しました。1861年(文久元年)には、幕府に召し出されて儒官に任じ宮崎市安井息軒記念館提供られています。鉄肥と東京にて門弟教育に力を注いだ息軒は、1876年 (明治9年)東京で亡くなりました。
 なお海機楼は、1868年 (明治元年)の火災によって残念ながら焼失してしまいました。

安井息軒に関してコチラでも記事にしていた。
湯島聖堂
2018/04/10 湯島散歩 01 御茶ノ水駅/湯島聖堂/相生坂/近代教育発祥の地/聖橋/糀室 附 - ovanの社会科見学

『安井 息軒(やすい そっけん、寛政11年1月1日〈1799年2月5日〉 - 明治9年〈1876年〉9月23日)は江戸時代の儒学者。名は衡、字は仲平、息軒は号。日向国宮崎郡清武郷(現・宮崎県宮崎市)出身。飫肥藩士。その業績は江戸期儒学の集大成と評価され、近代漢学の礎を築いた。門下からは谷干城陸奥宗光など延べ2000名に上る逸材が輩出された。妻の佐代は、森鷗外歴史小説『安井夫人』のモデル。有名な言葉としては「一日の計は朝にあり。一年の計は春にあり。一生の計は少壮の時にあり。」 』
安井息軒 - Wikipedia











TOKYO FM

左側手前のビル。
『株式会社エフエム東京(エフエムとうきょう、英語: Tokyo FM Broadcasting Co., Ltd.)は、東京都を放送対象地域として超短波放送(FMラジオ放送)を行う特定地上基幹放送事業者である。通称はTOKYO FM、略称はTFM。 』
エフエム東京 - Wikipedia

奥に「ワコール麹町ビル」が写っている。
次の日記で!










千鳥ヶ淵公園


菊池一雄「自由の群像」


麹町尋常高等小学校の碑

『1993年に旧麹町小学校と永田町小学校(麹町区立日比谷国民学校を1944年(昭和19年)に併合)の新設統合により開校した[2]。千代田区南西部の住宅地や官庁街、千代田および皇居外苑などの皇室に関係するエリアを学区としている。校内には千代田区役所麹町出張所・区民館が併設されている。皇居を擁する麹町の地にあって、校章は菊と桐を配している。 』
千代田区立麹町小学校 - Wikipedia




第一東京市立中学校の碑/第一東京市立中学校発祥之地の碑

東京都立九段高等学校(とうきょうとりつ くだんこうとうがっこう)は、かつて東京都千代田区九段北に存在した都立高等学校。 』
『過去の名称 第一東京市立中学校』
東京都立九段高等学校 - Wikipedia



対墨日本人移住百周年記念



作者   セバスティアン
作品名 「移住」


消防練習所跡地

東京消防庁消防学校(とうきょうしょうぼうちょうしょうぼうがっこう)は、東京都渋谷区にある東京消防庁の消防学校。
東京消防庁の組織等に関する規則第5条の規定により設置され、消防職員の教育計画に関すること、新任消防職員の教育の実施に関すること、および消防職員等の教育の実施に関することを所掌事務とする。また、同じ場所には、消防組織法第五十一条第一項および東京都消防訓練所条例の規定に基き東京都消防訓練所(東京都総務局所管)が設置されており、東京消防庁消防学校長が東京都消防訓練所長を兼務する(東京都消防訓練所処務規程第3条)ことによって、両者は事実上一体の運営がされている。 』
『 1913年(大正2年)6月 - 消防練習所の組織を創設
1914年(大正3年)10月 - 麹町区元園町に消防練習所を開設
1938年(昭和13年)5月 - 渋谷区幡ヶ谷本町に移転
1943年(昭和18年)11月 - 北多摩郡に分教場として国立練習所を開設
1948年(昭和23年)3月 - 消防練習所を東京都消防訓練所に改称
1948年(昭和23年)5月 - 東京消防学校を併設
1950年(昭和25年)9月 - 現在地に移転
1953年(昭和28年)3月 - 東京消防学校を東京消防庁消防学校に改称
1988年(昭和63年)12月 - 千代田区麹町に幹部研修所を開設』
東京消防庁消防学校 - Wikipedia









続く。