2022/02/15 三ノ輪散歩 05 三ノ輪橋交差点歩道橋/千束稲荷神社/月洲寺/台東区立竜泉中学校跡/光泉寺/最上稲荷神社/正宝院

ほぼ国際通り沿いを南下。





三ノ輪橋交差点歩道橋

昭和通り国際通りの三叉路。






近くにあった地図










◆千束稲荷神社


樋口一葉



『明日ハ鎮守なる千束神社の 大祭なり今歳は殊に にぎはしく山車などをも引 出るとて人々さわぐ樋口 夏』
樋口一葉『塵中日記』明治26年8月19日
一葉の自筆 (樋口 陽 氏 所蔵)
一葉は明治26年7月に龍泉寺町に転居し十ヶ月余りを過ごしました。
そして生活や町の様子を
日記に書き、名作『たけくらべ』に描きました。


梅が咲いていた♪












◆月洲寺

門が閉ざされていたので外からお参り。











台東区立竜泉中学校跡

まさに今工事していた。











光泉寺












最上稲荷神社




地図を見ると社の隣に日蓮宗妙義教会とある。
「猫の足あと」さんに詳細が載っていた。
日蓮宗妙義教会|台東区竜泉にある日蓮宗寺院











正宝院



 当寺は龍光山三高寺正寳院と称し享禄三年(1530)正山律師により聖護院派の祈願道場として開基された。その後滋賀県園城寺の末寺となったが、現在は修験の流れをくむ天台宗の一派をなしている寺である。本尊は不動明王で、古くより江戸名尊不動の一に数えられ、特に飛不動と呼ばれている。
 この名はむかし故あって当寺の住職が奈良県大峰山に本尊を安置し修行をしていたところ、一夜にして本尊がこの地に飛び帰り御利益を授けられたことより発している。
 当寺は寛政の大火を始めとして、数回諸堂を焼失しており寺伝を詳しく知るすべはないが、江戸古図や江戸砂子等に飛不動の名が見られ、千七百年代にはすでに飛不動と呼ばれていたようである。御本尊は数回の災禍の為、一部損傷しており、現在は秘仏として鉄筋入母屋造りの本堂に安置されている。この本堂は昭和四十六年に建立されたもので、中央に御本尊、右に鎌倉末期の阿弥陀如来、左に恵比寿大黒天がまつられている。又、本堂前の石仏は正徳三年作の如意輪観音である。



 正宝院は、享禄三年(1530)の創建といわれる修験寺院で、はじめ聖護院末・円城寺末から現在天台宗系の単立寺院となっている。
 当寺の本尊は木造不動明王坐像で、「飛不動」の通称で知られている。名の由来は、昔、当寺の住職が大和国大峰山に本像を持って修行に行ったところ、一夜にして当地へ飛びかえり、人々に御利益を授けたことによると伝えらている。 「飛不動」は本尊の通称だけでなく正宝院の通称ともなり、江戸時代前期、寛文年間(1661~73)の「新版江戸大絵図」には、すでに「飛不動」の名で見える。福利増長・息災延命の祈願道場として庶民の信仰が厚く、「日本国華万葉記」や「江戸砂子」などに江戸の代表的な不動霊場の一つとして記されている。近年は航空安全の守護神として有名になり、空の安全を祈願する参詣者が多い。


下谷恵比寿神


羅漢さま



「羅漢」は「阿羅漢」の略で古代インド語サンスクリットの「アルハット」が語源です。直訳すると「するに値する人」「受ける資格のある人」の意味です。これから発展して「修行を完成し、尊敬するに値する人」「悟りを得た人」という意味になり、究極的真理を得た聖人につけられる名称となりました。


青面金剛


六地蔵


山門











続く。