2022/02/15 三ノ輪散歩 09 湯どんぶり栄湯/パイロットシューズ社員寮/瑞穂稲荷大明神/駿馬塚/光照院/仰願寺

湯どんぶり栄湯から南東へ進む。




◆湯どんぶり栄湯

銭湯♪











パイロットシューズ社員寮










◆瑞穂稲荷大明神











◆駿馬塚



 駿馬塚は、平安時代の康平年間(1058~1064)源義家陸奥へ向かう際、この地で愛馬「青海原」が絶命し、これを葬った所と伝えている。
 現存する塚は、明治28年(1895)造立の石碑や石造層塔の一部を遺すのみだが、天保7年(1836)刊行の『江戸名所図会』には左の挿絵を載せており、江戸時代後期には土饅頭型の塚や「駿馬塚」と書した石碑が建っていたようである。
 現在、付近の人々はこの塚を「馬頭観音」と呼び、覆屋等を設けて大切に守っている。










◆光照院

来たことがある。
2021/05/09 台東区橋場散歩 04 山内容堂別邸跡/石浜公園/光照院/東禅寺/日の出会商店街/栄湯 - ovanの社会科見学


あさくさ山谷光潤観音像


満福地蔵


山門










◆仰願寺

門が閉ざされていたので、外からお参り。



 仰願寺は来迎山転法院と号する浄上宗寺院である。「御府内寺社備考』によれば、元和九年 (1623)に埼玉郡八条領坑村 (埼玉県八潮市)に仰願栄良(1599~1671)を開山として起立したという。その後、正保五年(1648)に当所へ移転した。
 本阿弥陀如来坐像は、元禄十三年(1700)に念仏一万日回向の証として当寺に造顕された。明治十年 (1877)の『明細簿』に添付された境内図には、本堂の正面より西寄りに「釧仏」の記述が認められる。大正十二年 (1823) の関東大震災や昭和二十年(1945)の東京大空襲で堂宇は被災したが、本像は焼失を免れ、現在は境内墓地奥の無縁墓に安置されている。
 本像は銅製、鋳造で、大きさは総高が140.5cm、像高は90cmである。
 江戸時代中期の制作でありながら、丁寧な作りで江戸時代前期の作風を残している。また衣には、杉綾文(すぎあやもん)、牡丹唐草、雲文(うんもん)、唐草文等、多彩な文様を陰刻しており、像全体に華やかな印象を与えている。近世に鋳造された露座の仏像に、こうした多数の複雑な文様を施す事例は少なく、制作者の技量をはかる上で貴重である。さらに、刻まれた銘文から、造顕に携わった人々の願意を知ることができ、当時の信仰を知る上でも重要である。
 平成二十九年三月に台東区有形文化財(彫刻)として台東区区民文化財台帳に登載された。










続く。