2022/02/21 亀戸散歩 02 境橋/祐天堂/花王株式会社/小村井香取神社/都営文花一丁目アパート/十間橋通り/正観寺/押上駅

亀戸天神主変から少し北へ行ったところにある小村井香取神社をめぐった後は東京メトロ半蔵門線押上駅へ。
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◆境橋

下は北十間川











◆祐天堂

来たことがある。



昭和四十一年に設けられた当時の説明板等に拠りますと、
その由来は、元禄年間に祐天上人が千葉方面に往来の途中、
この付近の川の中や川岸に多くの水死者のあるのを見て、非常に心を痛め、その霊を懇に回向されました。
その際に、これらの仏に戒名を与え
祐天上人、自らが筆を取って石にその戒名を記された供養塔をここに残されました。
後年、この供養塔を奉った祠が、この祐天堂であります。
それ以来、この付近では水死者もなく、またこの付近の子供たちが水辺で遊んでいても溺れたためしが無かったと言い伝えられ、
この付近に住む人々によって、水難除、安産、子供の守護の祠として崇め奉られ今日に至ります。(近年では、この祠に、交通安全祈願をなさる方も多いと聞きます。)
また、毎年七月二十四日を由縁の日と定め、祐天上人の遺徳を仰ぎ、精霊の供養を営む日と定められてまいりました。


道標



高さ七十一センチのこの道標は、ここ境橋から、木下川薬師堂(葛飾区東四ツ木一丁目)へ至る木下川薬師道(現在の仲居堀通り)を示すものです。
刻銘は、
正面に  木下川やくしみち
右側面に、本石町寳暦十一年辛巳猛春
左側面に、あつまもり
あつまもりとは、吾妻権現社のことで境橋を渡った右手、北十間川沿いにありました。本石町は日本橋の町名で、この道標の建てられた寳暦十一年(一七六一)頃には、きっと江戸町人の参詣が盛んだったことがうかがえます。








花王株式会社

工場見学したことがある。
2012/04/26 花王東京工場見学 - ovanの社会科見学

2018/01/24 花王工場見学/NTTドコモ展示スクエア/江戸NOREN - ovanの社会科見学


工場前の梅










◆小村井香取神社

以前来たことがある。
2018/03/06 亀戸散歩 04 福神橋/吾嬬神社/あずま児童遊園/小村井香取神社/小村井駅/亀戸駅 - ovanの社会科見学

2019/01/09 亀戸散歩 01 小村井/小村井香取神社/緑と花の学習園/あずま百樹園/学校跡/亀第8踏切道 - ovanの社会科見学



 経津主大神は天孫降臨に先だち、天照大神の勅を奉じ武甕槌神(鹿島の神)と共に出雲に降り、大国主命と御公称の結果、国土を皇孫に捧げ奉らしめ、次いで国内を平定して日本の建国の基礎を築かれた武勇に優れた神様で国運開発・民業指導・海上守護・縁結び安産の神様、更には武徳の祖神として廣く仰がれております。
 當神社は、永萬元年(1165)の葛西御厨の文書、応永五年(1398)の葛西御厨注文等に鎮守村名が見られ、平安時代の末期、当地開拓のために千葉県香取郡から六軒の人々が移住し、小村井の氏神様として鎮守しました。
大正5年頃まで、老樹鬱蒼と繁茂し円形の森林をなし、鳥類はもとより狸の類も巣を作り、隣地には小村井梅園が存して、明治四十三年頃までは四季の遊びの場所ともなりました。
 現在の御社殿は、昭和二十九年の建立で、本殿は流れ造り、拝殿は入母屋流れ造りの総桧造りです。


諏訪神社


禊盤(手水鉢)

 手水鉢は神仏を礼拝するにあたって、参拝者が手を洗い、口をすすぐための器であり、その行為のことを「手水を使う」ともいいます。この習慣は古代から行われていた「斎戒沐浴」の名残で、水で心身の罪や穢れを清める、「禊」を簡略化したものと考えられます。
 そのために本堂や社殿の前には必ず水を満たした盥や「手水桶」「手水鉢」などが常備されています。
 現在化鳥神社境内の諏訪社前にある手水鉢が「禊盥」と刻まれていることは、江戸時代後期の篤信社たちがただ単に手を洗うだけではなく、こうした禊の習慣をよく理解したうえで神前に奉納している貴重な例といえます。
 この禊盥の右側面には「文政11年(1828)戌子6月吉祥日」、左側面には「星塢奏鐘書」、裏面には「氏子中」と能筆で刻まれています。
かつては本殿前に据えられていたものです。


楽殿


小村井梅圓



 小村井梅園は江戸時代に作られ、江戸近郊の梅の名所てす。
 香取神社の東側に位置L、小村井村字出戸五百十一番に三千三百坪の広さを持ち、切絵図には「梅屋敷 名主小山孫左衛門 年毎御成有としごとおなりあり」と記され、毎年梅花の盛りには将軍家の御成りがあり、御成り梅の名も残っていました。紅梅白梅と姿良く、また老樹も多く大きな実も獲れました。
 園内には、築山や池に多くの名石が組まれ、東西に亙り松の大木が2列に並び立ち、鴨・鷺など多くの鳥が飛び交い、利根川の魚を畜った釣掘りもあり、花菖蒲に秋の七草と、多くの人で賑わいました。安藤広重の「絵本江戸土産」の錦絵には「小村井は亀戸より四、五町巽の方に在り此の所に香取の社あり、その傍かたわら梅園ありて満開の節は薫風馥郁くんぷうふくいくとして行人の鼻を穿うがつ、実に新古の梅屋敷にも倍したる勝景・・・・・・ 」 と記されています。惜しくも明治四十三年の大水で廃園となりました。 面影を忍び、此處にその由来を記して記念とします。












◆都営文花一丁目アパート









◆十間橋通り

商店街♪









◆正観寺


大師堂


水子地蔵


青面金剛


山門







押上駅

東京メトロ半蔵門線押上駅










続く。