2022/02/21 銀座・築地散歩 02 三輪稲荷神社/商法講習所跡/ビヤホールライオン/豊岩稲荷神社/元銀巴里跡/熊谷稲荷神社/山村座跡

銀座から徐々に東銀座方面へ向かう。
2020/12/05の日記とだいぶかぶる。
2020/12/05 築地・銀座散歩 06 森田座跡/山村座跡/商法講習所跡/銀座ライオン/元銀巴里跡/椿を持った少女像「はな」 - ovanの社会科見学




◆三輪稲荷神社

ギンザコマツビル西館の上に鎮座している。













◆商法講習所跡

商法講習所

  明治8年(1875年)この地に
  商法講習所を開設す
  これ現在の一橋大学の発端なり
    昭和50年9月24日

    百年記念に当り
      一橋大学之を建つ











ビヤホールライオン銀座七丁目店

 この建物は、昭和9年、当時の大日本麦酒株式会社の本社社屋として新築され、1階でビヤホールを開店しました。
 建築設計者は、新橋演舞場などを設計した菅原栄蔵氏で、1階の内装は直営ビヤホールということで特に力を入れて、独特の工夫をこらし、完成時には、建築の専門家を含めて多くの人々から絶大な称賛を受けました。壁面と柱に使用した 2種類の色タイルは当時類例を見ないものであり、カウンター周りは、ドイツから輸入した大理石が使われています。正面と左右壁面には、初めて我が国でつくられた、ガラスモザイクの壁画を大小10面取り付けました。正面の大壁画は、タテ2.75m、ヨコ575m、約250色のガラスモザイクが使われています。
 ひとつひとつの小さなガラスモザイクの制作は、色調を整えるのに苦心をし、数百回の工程を経て約3年の日時を費やしたと言われています。この壁面に描かれているものは、ビール麦の収穫をする婦人たち、幸せの象徴であるアカンサスの花、そして遠くに見える煙突は当時の恵比寿ビール工場であると語られており、古代と現代を織り交ぜた、不思議かつ大変縁起の良い作品と言われています。
 戦後、約6年間米軍に接収され、米軍専用ビヤホールとして使用されましたが、昭和5年1月接収解除となり、再び庶民に愛されるビヤホールとして営業を再開しました。

※2020/12/05 の日記では説明版を見つけていた。









◆豊岩稲荷神社





 当社は、江戸初期からこの地(中央区銀座七丁目八番地十四号)に火防神・縁結神として信仰を集め、銀座七丁目町会の守護神として篤い信仰を集めてきた。
 稲荷の神は、保食神(宇気母智神)或は倉稲魂神と称し、稲のみ魂又人間の生活に最も必要な食物を守護し給う神として、伊勢神宮の外宮、京都の伏見稲荷大社始め、全国の稲荷の御祭神として、広く信仰されている。
 当社は、明智光秀の家臣安田作兵衛により祀られ、昭和の初めには歌舞伎の名優市村羽左衛門丈を始め、芸能関係者の崇敬が厚かった明治三年以降、当銀座の氏神である山王日枝神社(元官幣大社)の神職により祭祀はとり行われ、永年の宿望であった御社殿以下の御造営事業及び境内地の保全が平成五年秋、地元町会関係者及び徳月崇敬者中塚成紀氏等の奉賛によりなされたのである。










◆元銀巴里跡

『銀巴里(ぎんパリ)は、1951年–1990年まで東京銀座七丁目にあった日本初のシャンソン喫茶である。「東の銀巴里、西のラ・ベル・エポック武蔵野市吉祥寺 2009年10月31日閉店)」ともよばれた。
美輪明宏戸川昌子、古賀力、金子由香利、戸山英二、大木康子、長谷川きよし、宇野ゆう子、クミコらを輩出し、三島由紀夫なかにし礼吉行淳之介寺山修司中原淳一らが集い、演出に尽力した。
閉店日には、銀巴里の名が記されたコーヒーカップや食器類が、すべて常連客によって持ち帰られた。
跡地の銀座7丁目9番11号付近に石碑が立つ。
唯一のれん分けされた店が札幌市のススキノにあったが、2012年9月29日に閉店している。 』










◆熊谷稲荷神社



 遠く東海道の要路に当り、里俗の崇敬する稲荷神社にして、建久の昔、武将熊谷次郎直実卿源平合戦の後、鎌倉より今の熊谷市に凱旋の途次、此の地の里人請はるゝまゝに、護符の神札を授けられて、尊崇し給うと伝う。
 斯くて江戸の地、開発と共に当地(木挽町6丁目東豊玉岸地現在銀座7丁目地)に祭祀、当町世々鎮守として700余年町民衆庶の信仰する処となり今日に至る。
 特に、開運、防火の守りの霊験著しきを伝え聞き、近隣各地より信仰帰依する者尠からず、又大東亜戦に於て戦火迫るに及び先世話人竹本金太郎妻女、安全の地に御神体を奉じ移らんとせしに、急に重みを感ず、是神意のお告げと覚り火中に留まる。幸い神護を得て無事社殿と共に戦禍を免れたり。
 昭和25年町民各位の発起に依り、破損の社殿を改築神意を休め奉る。
 茲に私共町民の、安寧幸福の神として仰ぐ次第なり。
  昭和49年1月之れを記す










山村座

説明版などは見当たらなかった。



google mapの位置は上の写真のところあたり。

山村座(やまむらざ)は、かつて存在した歌舞伎の劇場である。1642年(寛永19年)に江戸・木挽町四丁目(現在の東京都中央区銀座6丁目)に開かれ、河原崎座森田座(のちの守田座)とともに「木挽町三座」と呼ばれ、元禄年間に官許を受けた劇場として、中村座市村座森田座とともに「江戸四座」と呼ばれた。1714年(正徳4年)、同座を舞台に起きた「江島生島事件」の結末とともに官許没収、廃座となった。存続期間は72年間であった。木挽町を芝居の街とした、歴史上最初の劇場として知られる。』
山村座 - Wikipedia









続く。