◆築地江戸前散歩
築地江戸前散歩は、歌舞伎座から佃島までの約2.5Kmのみちのりです。 江戸前とは江戸っ子がつくりあげた味の世界。現代の魚河岸築地市場からエキゾチックな香りを残す築地居留地跡そして古風な町並みの別世界佃島をめぐります。
江戸の海と築地
このあたり一帯と海との関わりは、江戸から近代への歴史の流れと共に選り変わって来た。
佃島は江戸時代はじめ、徳川家康の命を受けここに移った摂津国(大阪)個村の漁師が開いた。漁は当時江戸前と呼ばれた東京湾で行われ、隅田川河口でとれる白魚は将軍の御前に使された。
築地も海とは緑深い。その起源は文字通り、江戸初期の埋め立て地。維煮後、今の中央卸売市場に海軍操練所が設けられた。
この頃明石町には武家屋敷にかわって外国人居留地やアメリカ公使館が慣かれ、文明開化の窓口役を果していた。
◆五代友厚終焉の地
google mapのマークは上の写真のところあたり。
『五代 友厚(ごだい ともあつ、天保6年12月26日〈1836年2月12日〉 ー 明治18年〈1885年〉9月25日)は、幕末から明治期の日本の武士、実業家[2]。薩摩国鹿児島城下長田町城ヶ谷(現在の鹿児島県鹿児島市長田町)生まれ[3]。贈正五位、勲四等。通称は才助。
大阪経済界の重鎮の一人。大阪市の本邸跡は大阪科学技術館・日本銀行大阪支店になっている。当時、「まさに瓦解に及ばんとする萌し」(五代)のあった大阪経済を立て直すために、商工業の組織化、信用秩序の再構築を図った。 』
『明治18年(1885年)
1月 - 大阪北中之島1丁目26番地に居を定める(現・日本銀行大阪支店)。
9月 - 鹿児島より籍を大阪に移す。東京において日本郵船会社を斡旋する。勲四等に叙せられ旭日小綬章を賜う。
9月25日 - 糖尿病により、東京の別荘で没する。満49歳。大阪市で葬儀。』
五代友厚 - Wikipedia
とあったのでいろいろと調べたが、東京築地に別荘があったことまではわかった。
しかし、ここであっているかどうかはわからなかった。
発祥の地である旧築地居留地6番には、既存の建築物があるため、学校法人聖路加看護学円のご厚意により、ここに設置いたしました。
近くにあったオブジェ。
こちらは調べると聖路加のロゴマークのようだね。
◆日刊スポーツ本社
『日刊スポーツ(にっかんスポーツ、NIKKAN SPORTS、略称:ニッカン)は、日本国内で発行される日刊のスポーツ新聞。朝日新聞系のスポーツ新聞。
全国各地の4社から発行されている。
日刊スポーツ新聞社(にっかんスポーツしんぶんしゃ、東京都)
日刊スポーツ新聞西日本(にっかんスポーツしんぶんにしにっぽん、大阪府、愛知県、福岡県)
北海道日刊スポーツ新聞社(ほっかいどうにっかんスポーツしんぶんしゃ、北海道)
沖縄タイムス社(おきなわタイムスしゃ、沖縄県、印刷・発行委託)』
日刊スポーツ - Wikipedia
◆築地歩道橋
下は新大橋通り。
歩道橋から撮った築地本願寺
◆築地駅
東京メトロ日比谷線築地駅。
こちらは築地歩道橋から撮った写真。
銀座、築地もだいぶ巡った。
期間限定の場所や、時間があわなくて行けなかったところなどを残すのみ!
と思いたい(w
メトロの24時間件で巡ったので、帰りは丸の内線に乗り換えて新高円寺へ。
◆新高円寺駅