2022/02/25 方南町散歩 05 笹塚庚申塚/御嶽神社/福徳稲荷神社/一本松の庚申塚/南台さくら公園/小祠

環七を北上後にまた甲州街道にぶつかる。
街道を東へ進み、御嶽神社から細い路地を北東へ進む。




◆笹塚庚申塚

前に来た時の日記では「笹塚庚申塚」
2019/03/17 方南町散歩 01 笹塚駅/笹塚ボウル/笹塚・幡ヶ谷・西原商店街連合会/笹塚駅前歩道橋/笹塚跡/庚申塔 - ovanの社会科見学



 庚申の信仰は中国の道教思想に基づくもので、江戸時代に盛んになり、村の辻などに庚申供養塔が建てられました。
 庚申信仰は、六十日ごとに巡り来る庚申の夜、眠り込んだ人の体内から三戸と呼ばれる虫が出て、天帝にその人の罪過を報告し、罰が下されるというもので、寝てはいけないと信じられていました。
 庚申堂や当番の人の家に集まった村人たちは、一晩中勤行をして夜明けを待ちました。その仲間を庚申講と呼んだのです。庚申信仰は「猿(かのえ)」と「申(さる)」との混同から、庚申の日に猿田彦神をまつるようになりました。この庚申塔にも青面金剛像の下に三匹の猿が彫ってあります。
 ここにある庚申塔は、元禄十三年(1700)に立てられたものですが、付近の人びとによっていまでも大切に守られています。










御嶽神社











◆福徳稲荷神社










◆一本松の庚申塚



 この庚申塚は、地元の言い伝えによれば、明和年間(1764~1771)に雑色村(現在の南台地域の旧村名)の人たちが共同で庚申塔地蔵尊を祀ったことにはじまるといわれています。
 また『中野町誌』には、数百年前、西国の武士で原田七左衛門、同彦左衛門、増川八左衛門の三名がこの地で亡くなったので、その供養のために塚がつくられたという言い伝えが記されています。
 第二次世界大戦の空襲で罹災し、原形を失いましたが、昭和二十五年(1950)に地域の人々の手で再建されました。

 干支の庚申(六〇日に一回めぐってくる)の夜、人間が眠っている間に体内に巣くう三尸という虫がぬけ出して天に昇り、帝釈天にその人の罪を訴え、生命を縮めるという。
 庚申信仰は、長命安楽を願って、三尸の虫に罪を訴えられないようにする、いわゆる民間信仰で中国の道教の守庚申に由来するものです。
 特に江戸時代に盛んに行われ、青面金剛や、庚申に因んだ猿、庚申の文字などを刻んだ塔が建てられました。












◆南台さくら公園










◆小祠











続く。