まだまだ田原町南西エリアを散策。
小林清親墓
小林清親は木版浮世絵師最後の人といえる。
江戸の末、弘化四年(1847)八月一日、浅草御蔵屋敷に武士の子として生まれ、上野戦争には幕府方として参加、明治維新後は、新聞、雑誌にさし絵を描き、生
を立てた。その前後、イギリス人ワーグマンに洋画を、河鍋暁斎、柴田是真からは日本画を修得、浮世絵師としての大成をはかった。
やがて清親の版画には、上野、浅草を中心に新しい東京の風俗·建物が光と影によって描きだされ、それらは明けゆく明治の時代を先取したものとして、ひろく一般に迎えられた。それは、広重や国芳ともちがう、写実のなかに木版の刷りの美しさを生かしたものだが、浮世絵興亡の歴史からみれば、最後の光でもあった。巷説、わが家が焼けたとも知らず、両国の大火を写生していた男である。
大正四年(1915)十一月二十八日死去。六十九歳。寺内には小林氏墓「真生院泰岳清親居士」と清親画伯碑がある。
◆台東区立小島公園
続く。