2022/02/27 田原町散歩 09 市村座跡/三井記念病院/対馬藩上屋敷跡/国立衛生試験所発祥の地/美倉橋ガード/渡辺省亭生家跡

前の日記の偉いあから少しずつ南西へ向かう。




市村座



 明治二十五年(1892)十一月、下谷二長町1番地といったこの地に、市村座が開場した。市村座は歌舞伎劇場。寛永十一年(1634)日本橋葺屋町に市村座は創始し、中村・森田(のち守田)座とともに、江戸三座と呼ばれた。天保十三年(1842)浅草猿若町2丁目に移り、ついで当地に再転。
 二長町時代の市村座は、明治二十六年(1893)二月焼失。明治二十七年(1894)七月再建して東京市村座と呼称。大正十二年(1923)九月の関東大震災で焼けたが再興、昭和七年(1932)五月に自火焼失し消滅という変遷を経た。明治二十七年(1894)再建の劇場は煉瓦造り3階建で、その舞台では、六世尾上菊五郎・初代中村吉右衛門らの人気役者が上演した。岩百合菊五郎吉右衛門の二長町時代を現出し、満都の人気を集めた。しかし、その面影を伝えるものはほとんどなく、この裏手に菊五郎吉右衛門が信仰したという、千代田区稲荷社が現存する程度である。











三井記念病院



 社会幅性法人三井記念病院は、1858年(安政5年)江戸お玉ケ池近く(現千代三区岩本町2丁H)に開設された種i所から発展した東京帝国大学(現東京大学)医科大学附属第二医院跡地(現在地)に、財団法人三井慈善病院として 1909年(明治2年)に開院したのが始まりである。
 1906年(明治39年)10月、健康保険制度や生活保護法が無無かった時代に、三井家は「汎ク貧困ナル柄者ノ為メ施療ヲ為スラ目的」として施療病院を開設するた
め100万円を寄付し、これを基金として財団法人組織の慈善病院設立の許可を得た。
 病院の建設地には、当時貧困層が医療を受けるために至便な東京帝国大学第二医院跡地(1901年に全焼)を選び直ちに着工した。建物は1908年(明治41年) 12月10日に竣工し、1909年(明治42年) 3月21日に開院式を行った。無料診療を行う民間唯一の病院として、患者の診療を東京帝国大学医科大学に委託して診療を開始した。
 以来、数度の名称変更を経ながら終戦まで同大学医学部の協力のもとで高度な医療を提供しつつ無料診療を行い、戦後も創設以来の精神を受け継ぎ、社会福社
人として診療事業を行っている。
 ここに百周年記念建特事業の完了を記念して由来を記す。










対馬藩上屋敷

現地では説明版など見当たらなかった。



google mapのマークは上の写真のところあたり。

対馬府中藩(つしまふちゅうはん)は、江戸時代に対馬国長崎県対馬市)全土と肥前国田代(佐賀県鳥栖市東部ならびに基山町)および浜崎(佐賀県唐津市浜玉町浜崎)を治めていた藩である。別名厳原藩(いづはらはん)。一般には単に対馬藩(つしまはん)と呼称されることが多い。「府中」は当時厳原の城下町をこう称していたことに由来する。藩庁は当初金石城(対馬市厳原町西里)、のち桟原城対馬市厳原町桟原)。藩主は宗氏で初代藩主義智以来、位階は従四位下を与えられ、官職は主に対馬守・侍従を称した。
対馬府中藩の在郷支配は近世諸藩のなかでも特殊な性格を有しており、兵農分離はあまり明確でなく、多くの地方給人があり、給人の下に名子・被官がいて、多くの点で中世的性格を保った。 』
江戸藩邸は向柳原に上屋敷、水道橋外に中屋敷、三ノ輪に下屋敷があった。また京都藩邸は河原町[要曖昧さ回避]三条上る丁にあり、大坂藩邸は天満11丁目に、長崎藩邸は紺屋町にあった。肥前領を差配するための肥前屋敷は基肄郡田代領にあった。また、江戸における菩提寺下谷天台宗養王院であった。 』
対馬府中藩 - Wikipedia

ということで、正確な位置までは調べられなかったがこの辺りであることは間違いないだろう。










◆国立衛生試験所発祥の地



 国立衛生試驗所(現、国立医薬品食品衛生研究所) は、わが国最初の国営の医薬品試験研究機関、東京司薬場として、1874年(明治7年)3月、現在の中央区日本橋馬喰町に発足し、1875年(明治8年) に現在の千代田区神田和泉町2番地で本格的業務を開始しました。1945年 (昭和20年) 3月の東京大空襲に罹災し、世田谷区上用賀に移転したのち、2017年(平成29年)10月に川崎市に移転しています。

川崎へ移転する前に、見学に訪れたことがある。
2016/07/23 part1 国立医薬品食品衛生研究所 一般公開 - ovanの社会科見学












総武線(6)美倉橋ガード

こちらをくぐって線路の反対側(南側)へ。












◆渡辺省亭生家跡

現地では説明版など見当たらなかった。



google mapのマークは上の写真のところあたり。

『渡辺 省亭(わたなべ せいてい、嘉永4年12月27日(1852年1月18日) - 大正7年(1918年)4月2日)は、明治時代から大正時代にかけての日本画家。洋風表現を取り入れた、洒脱な花鳥画を得意とした。 』
『代々秋田藩の札差を務める吉川家の吉川長兵衛の次男として、江戸神田佐久間町に生まれる。』
渡辺省亭 - Wikipedia

神田佐久間町ということなので、正確な場所まではわからなかったが、この辺りで間違いではなさそうだ。










続く。