2022/02/27 田原町散歩 10 佐久間公園/伝串 新時代/秋葉原駅/万世橋/淡路町駅/新高円寺駅

どんどん南西へ進み秋葉原駅を超え淡路町駅へ。
こちらは「あわじちょう」でよいみたいね。
「町」をどう読むのかに法則性はないみたいなので覚えるしかない・・・・・。




◆佐久間公園

一度来たことがある。
入口の写真を撮り忘れたのでこちらは以前の写真。
他は今回撮ったもの。
2018/04/14 台東散歩 06 草分稲荷神社/佐久間公園/藤堂和泉守の上屋敷を彩った樹々/秋葉原駅/聖橋 - ovanの社会科見学


草分稲荷神社

公園内にあった神社。



 この社は元、板倉主計頭邸內に祭られていましたが、明治雜新の後、武家屋敷が取りはらわれて町家と変り祠のみが残っていました。
 廃れゆく稲荷を惜しんだ町內の有志が蓄財を出し合い保存と祭社の策を講じていたもので昭和三十六年佐久間公園東北隅に遷座されました。
 現在も佐久間町三丁目町会を中心に連合町会にてお察りを行っています。


神田佐久間町三丁目

 江戸時代、この界隈(かいわい)には町人地と武家の屋敷地とが混在していました。「佐久間町(さくまちょう)」の名前の由来は、佐久間平八(さくまへいはち)という材木商が住んでいたことに由来するとされています。
 江戸は火事の多い町として知られていますが、とくに享保(きょうほう)年間(1716年~1736年)には、幾度となく大火に見舞われました。そのたびに町の一部に火除地(ひよけち)や代地(だいち)が設けられて南北に分断され、住民は移転を余儀なくされました。
 大正十二年(1923年)の関東大震災では、住民が一致団結して火事と闘いました。猛烈な勢いで襲ってくる火の手に、住民たちは力をあわせてバケツリレーをおこない、町を守りました。三十時間にもおよんだ命がけの消火活動のかいあって、佐久間町から和泉町(いずみちょう)にかけての一帯は奇跡的に延焼をまぬがれたのです。
 この由来板が立っている佐久間公園は、ラジオ体操会発祥(はっしょう)の地としても知られています。「国民保険体操のラジオ放送(のちのラジオ体操)」が開始されてまもなく、昭和五年(1930年)に万世橋(まんせいばし)警察署の巡査が地域の住民を集め、全国に先がけてこの公園で早起きラジオ体操会を始めました。これを記念して同公園には由来を記した碑が建立(こんりゅう)されています。
神田佐久間町三丁目は、江戸時代から続く由緒ある町名です。長い歴史に培われた(つちかわれた)強い連帯感で結ばれた住民たちは、力をあわせて町を守り抜いてきたのです。


神田佐久間町四丁目/ラジオ体操発祥の地

神田佐久間町四丁目
佐久間町の町名は、佐久間平八という材木商が住んでいたことに由来すると伝わっています。実際この地域は、江戸でも早い時期から商人や職人が集まる町でした。
一方でこの地域は、火事が多かったことも古文書に記されています。享保三年(1718年)には、火災で焼け落ちた町の一部が防火のための火除地に定められ、そこに住んでいた人々は元誓願寺前(もとせいがんじまえ)(現在の神田東松下町周辺)に移動するように命じられます。しかし、町の人々にとって河岸(船荷を上げ下ろしする場所)に隣接したこの地から離れるのは好ましいことではなかったようです。そこで奉行所に願い出て、たき火をしないことや、建物の間を空けるといった条件つきで、火除地の一部の使用許可を得ました。その結果、この界隈は商人や職人たちの町として発展を続け、明治維新を迎えています。
明治二年(1869年)、神田佐久間町四丁目元地、神田佐久間町四丁目裏町)、そして神田富松町元地が合併し、神田佐久間町四丁目となり、明治五年(1872年)には隣接していた武家地を編入しました。明治四十四年(1911年)の町名変更でいったん佐久間町四丁目となりますが、昭和二十二年(1947年)、神田区麹町区が合併して千代田区となると、ふたたび神田佐久間町四丁目となりました。

ラジオ体操発祥の地
 ラジオ体操は 昭和3年11月 簡易保険局が国民の健康増進のために国民保険体操と名づけて制定したものであるこれがひとたび放送されるやラジオ体操として親しまれ全国各地にラジオ体操会の誕生をみるにいたった
 この地は 当時万世橋警察署の面高巡査が町内会の人達と共に全国に先駆けて「早起きラジオ体操会」を始めたゆかりの地である
 ラジオ体操50年に当りこれを顕彰する


戦災殉難者慰霊碑











◆伝串 新時代

安くておいしそう・・・・。
なのでメモ(w










秋葉原駅

JR秋葉原駅











万世橋

何度か来ている。
2022/02/01 神田散歩 07 鷹岡株式会社/JR神田万世橋ビル/震災復興と万世橋/万世橋架道橋/肉の万世/万世橋/秋葉原駅 - ovanの社会科見学

看板を見つけた。



 現在の万世橋と平橋の間に江戸城の見附の一つてある筋達門がありました。1872年(明治5年) に門が撒去されその石材を用いて架けられたのが萬代橋(よろずよばし)(萬世橋)です。石造アーチの形状は眼鏡橋と通称され、東京名所として錦絵などにも描かれました。
 1903年(明治36年)、現在の位置に新たに万世橋が架橋された後、石造の萬世橋は1906年に撒去されました。現在の橋は関東大震災後の1930年(昭和5年)に架けられました。甲武鉄道 (桜の中央線) のターミナル駅として万世橋駅が1912年(明治45年)に開業すると、橋の周辺は交通の要衝として大変な賑わいを見せました。










淡路町駅

ゴールの東京メトロ淡路町駅


ウィズコロナ東京かるた













少し残っちゃった部分もあった。
今度また巡ろう。
ほんとにお寺がいっぱいだね。
高低差はほとんどないので歩きやすかった。
帰りは丸の内線で新高円寺駅まで。











新高円寺