2022/03/05 東上野散歩 04 皆応寺/祝言寺/聖徳寺/本覚寺/正行寺/長泉寺/源隆寺

前のエリアから今度は西へ向かって歩く。




◆皆応寺










祝言


鐘楼


山門


参道入り口









◆聖徳寺


玉川兄弟顕彰碑/玉川庄右衛門(しょうえもん)および清右衛門(せいえもん)墓

 庄右衛門.清右衛門の兄弟は、玉川上水開削工事の請負者で、江戸の町人と言われているがその出身地は明らかではない。玉川上水の開削工事は、四代将軍家綱の承応二年(1653)一月十三日に幕命が下り、二月十一日に着工された。工事費として幕府から七五O○両が下賜されたという。羽村から四谷大木戸に至る四十三キ口の導水部は、承応三年(1654)六月ニ十日に完成した。その後給水地域は順次拡大され、江戸城内をはじめ四谷・麴町・赤坂の高台などの山の手から、芝・京橋方面に及んでいる。現存する玉川上水は、江戸時代初期の
土木技術の水準を今日に伝元る貴重な文化財である。近世都市江戸の水道施設建設の功績により、兄弟は二〇〇石の扶持を賜り、玉川上水役に任ぜられた。また玉川という名字を与えられ、帯刀も許された。兄の庄右衛門は元禄八年(1695)に、弟の清右衛門は翌年の元禄九年に死去した。明治四四年(1911)政府は、玉川兄弟の功績に対して従五位を追贈した。


玉川庄右衛門(しょうえもん)および清右衛門(せいえもん)の墓



 二基の墓のうち、向かって右側が庄右衛門の墓。笠付きの角石墓塔で、焚字の下に惜書で「玉川本家先祖代々」とあり、さらに次の戒名が刻んである。
   隆宗院殿贈従五位正誉了覚大居士(りゅうそういん でんぞうじゅ ご いしょうよりょうがくだい こじ)
 向かって左側が清右衛門の墓。先の尖った角石墓塔で、楚字の下に惜書で次の戒名が刻んである。
   接取院殿贈従五位光誉照山大居士(せっしゅいん でん ぞう じゅ ごい こう よしょうざん だい こじ)
 従五位は、明治四十四年(1911)六月、政府により追贈されたもの。両墓石は大正十二年(1923)の関東大震災で破損したが、昭和十二年(1937)有志によって修復された。









本覚寺


祖師堂


七面大明神


鬼子母神


福徳稲荷大明神


蟇大明神

蟇(ひき)


 天保の頃 當山の檀家に秋山某なる人があった 故あって家業を助ける神として蛙蟇塚という碑を建てて崇めていたと云う大正十二年関東大震災の折 東京は一瞬にして焦土となり當山も又烏有に帰したが その時の墓守関某という人が霊感する所あって土の中より件の碑を探し出し小さな堂を建てて祠った
 丁度その頃下谷に千八という人がおり この蛙蟇塚に願をかけた所大きなご利益を得  遂に一念發起して現在の地に蟇堂を建て 人に逢うことに蟇の分身を與えて利益のあることを宣伝した
 千八師は自らも歌舞をよくしこの方面に宣伝した為に花柳界歌舞演劇界映画芸能界等金銭物質の出入や人気稼業方面に信者が多い  昭和二十年三月の大空襲で全焼したが戦後いち早く下谷の高田家保袋家氏等の尽力で復興し今日に至って居る  動物信仰の一形態としても誠に珍しいものである  昭和五十一年に至り堂宇の傷み甚だしくここに恒久的堂宇の再建を發願した所詣者多数の賛同と協力を得て 昭和五十三年七月二十日新蟇堂の完成を見た


本覚龍神


山門









◆正行寺









◆長泉寺










◆源隆寺









続く。