2022/03/05 東上野散歩 08 幡随院跡/台東区役所社会教育センター/寿湯/旧浅草北清島町/稲荷町駅

清洲橋通りへ出て南下。
東京メトロ銀座線稲荷町駅へ。





◆幡随院跡




現地には説明版など見当たらなかった。
google mapマークの位置は上の写真のところあたり。

前の日記にも出てきた、「幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)墓」の幡随院のことでよいのだろうか?
2022/03/05 東上野散歩 07 長龍寺/養蓮寺/龍淵寺/源空寺/浄林寺/鶴の湯跡 - ovanの社会科見学

幡随院をwikiで調べてみた。
『幡随院 長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ、元和8年(1622年) - 慶安3年4月13日(1650年5月13日)あるいは、明暦3年7月18日(1657年8月27日)とも)は、江戸時代前期の町人。町奴の頭領で、日本の侠客の元祖ともいわれる。『極付幡随長兵衛』など歌舞伎や講談の題材となった。本名は塚本 伊太郎(つかもと いたろう)。妻は口入れ屋の娘・きん。 』
『元和8年(1622年)、誕生。唐津藩の武士・塚本伊織の一子とされているが、滅亡した波多氏の旧家臣の子であるという説[1]や、幡随院(京都の知恩院の末寺)の住職・向導の実弟または幡随院の門守の子という説[2]もある。
父の死後、向導を頼って江戸に来て、浅草花川戸で口入れ屋を営んでいたとされる。旗本奴と男伊達を競いあう町奴の頭領として名を売るが、若い者の揉め事の手打ちを口実に、旗本奴の頭領・水野十郎左衛門(水野成之)に呼び出され殺害されたという[注 1]。 没年月日は、『武江年表』やその墓碑によれば慶安3年4月13日(1650年5月13日)であるが、明暦3年7月18日(1657年8月27日)という説もある。享年36(満34-35歳没)。墓所は、東京都台東区東上野6丁目の源空寺。 』
幡随院長兵衛 - Wikipedia












台東区役所社会教育センター



台東区の施設。
社会教育センター・社会教育館【台東区社会教育センター・社会教育館 | 台東区立清島温水プール】


ストリートビューをみるとつい最近まで歩道橋があったんだね。












◆寿湯

銭湯♪















◆旧浅草北清島町

 本町は浅草清島町が新寺通り(現浅草通り)を境にして南北二つに分けられて誕生した。明治五年(1872)のことである。もとになつた浅草清島町は同二年実施の市制改革に伴つてできた町で町名の由来はよくわからない。
 この付近は明暦の大火後、幕府の政策により寺院が移り街を形成したことから新寺町と言われていた。震災·戦災にもかかわらず今なお寺院が多く、静かなたたずまいを見せている。
ー本町の見どころー
 坂東報恩寺の姐開きは一月十二日に行われる包丁始め。古式にのつとり鯉に手を触れることなく包丁で料理をする四条流家元の見事な手さばきは見ものである。源空寺、には谷文晃、伊能忠敬、幡随院長兵衛、高橋東岡など歴史上の人物が眠る。













稲荷町

東京メトロ銀座線稲荷町駅。












続く。