2022/03/05 東上野散歩 09 永昌寺/下谷神社/台東区役所/上野消防署/廣徳禅寺遺趾/宋雲院/徳雲会館

浅草通りの一つ北を通る路地を西へ進む。




◆永昌寺


講道館柔道発祥の地



 明治15年(1882), 講道館柔道の創始者 嘉納治五郎(1860~1938)が 友人や門弟とともに稽古をはじめたところが, 当下谷永昌寺の書院であった。
 これが今日, 世界各国に普及し国際的な広がりを持つ 講道館柔道の発祥とされている。 道場となった書院の広さは12畳, 初年の門弟は9人であった。



 明治15年(1882), 講道館柔道の創始者 嘉納治五郎(1860~1938)が 友人や門弟とともに稽古をはじめたところが, 当下谷永昌寺の書院であった。
 これが今日, 世界各国に普及し国際的な広がりを持つ 講道館柔道の発祥とされている。 道場となった書院の広さは12畳, 初年の門弟は9人であった。
 同年夏, 当時の住職 朝舜法(1837~1914)の協力を得て, 玄関脇の空地に, 12畳のバラック建て道場を新築したが, 翌16年(1883)神田に移った。
 永昌寺は, 浄土宗で 永禄元年(1558) 下谷長者町に創建, 寛永14年(1637)現在地に移転した。 大正12年の大震災により 当時の建物は焼失している。
 境内の「講道館柔道発祥之地」と刻む自然石の記念碑は, 昭和43年10月, 嘉納治五郎 没後30周年を記念し, 講道館が建立した。


下谷長者墓塔

脇に文字が刻まれていたが、ほとんど判読できず、文字化を断念。


山門












下谷神社

以前お参りした。
今回はコチラの写真だけ撮った。
2022/02/28 稲荷町散歩 06 三光洞/経王寺/日の出湯/唯念寺/稲荷町駅/下谷神社/西町太郎稲荷神社 - ovanの社会科見学










台東区役所











◆上野消防署










◆廣徳禅寺遺趾



 この地は、昭和46年まで廣徳寺があった場所で、この石碑は、練馬別院に移転の際に、廣徳三十世雪底和尚によって詠まれた七言絶句を記したものです。また、石碑の裏側には、廣徳寺が移転した理由が記されています。
なお、この解釈にあたっては、廣徳寺海雲和尚のご協力を賜わったものです。

【七言絶句】
 高掲法幢三百戴タカク ホウトウヲカカゲテ サンビャクネン
 (禅宗を掲げて下谷の地に移って、300年が経った)
 已憂斯地累兒孫スデニ コノチヲウルエテ ジソンニツナグ
 (時代の移り変わりや環境の変化もあったが今日まできた)
 無邊廣大先人徳ムヘンコウダイナル センジンノトク
 (未来永劫受け継がれるためにも、代々、世のため人のためにおこなってきた)
 纔勒碑陰去故園ワズカニ ヒインヲオサメテ コエンヲサル
 (碑陰(石碑の裏面)を記して このちを去ります)

【石碑裏面】
 廣徳寺は、希叟宗罕禅師が明叟和尚を小田原に招き、創建したとされ、その年代は元亀天正の頃と推定される。
 天正18年(1590年)に豊臣秀吉により小田原城が落城し、その際、廣徳寺も焼失した。
 その後、徳川家康が江戸の神田(昌平橋付近)に再興。そして寛永12年(1635年)に下谷に移っておおよそ300年が経った。当時は、江戸屈指の禅林と仰がれた。
 昭和45年9月、台東区より敷地を新庁舎建設用地として懇望され、時代の情勢を鑑み、これを受託し、練馬の別院へ移すことにした。
 この地を去るにあたり、先人達の深い恩に感謝し、石碑を建て移転の経緯を記し、後世に残すものである。



近くにあった地図









◆宋雲院










◆徳雲会館










続く。